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プロポーズ 指輪 猫目石 ヴァドゥ モルディブ 小説 2/2

投稿日:16/07/2018 更新日:

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猫目石の憂鬱(ヴァドゥ)1/2

猫目石の憂鬱(ヴァドゥ)2/2

マーレに到着して、桟橋でガイドと合流する。人懐こい笑顔で、そのガイド、アリという名の青年は挨拶をしてきた。結構達者な日本語だ。だからあたしは即席で覚えた現地の言葉で挨拶を返す。

「ハールキヒネ」(ご機嫌いかが)

アリは「ランガル」(元気です)と笑って答えてくれた。

打ち解けた雰囲気で、マーレの町を三人で歩き出した。金色の丸い屋根のモスク、珊瑚を積み上げて作られた寺院、人々で賑わう魚市場。

マーレは人々の生きる活気で満ちていた。子供達は、はにかみ屋だけど人懐こい可愛い笑顔を向けてくれる。

途中で小さなアイスクリームショップを見つけ、寄りたいとアリに言った。

「OK、ユックリ食ベテキテ。ボク外デ待ッテイルカラ、ネ」

「一緒に食おうぜ、アリ、モルディブの女の子の話でも聞かせてよ、俺の奢りだ」

淳は友人のようにアリの肩を組むと、アイスクリーム屋の中に入っていった。友達のように接する淳に、アリは自分の話をポツポツと始めた。実は一ヶ月前に初めての子供が生まれたのだと。とてもパパには見えない年だった。ハタチそこそといった感じだろうか。

「モルディブは一夫多妻制なんでしょ。これから奥さん増やしていくの?」

からかうように聞いてみる。

「今ハモルディブノ女ノ人強イネ。許シテクレナイヨ。ソレニ、オ金持チジャナイト無理デス」
おどけたようにアリはそう教えてくれた。

次に彼が案内してくれたのは、宝石店だった。モルディブの隣国、スリランカは世界有数の宝石の産地とは聞いていた。

買わなくていいから、博物館を見る気分で寄って行ってよ、とアリは言った。

店内のショーウィンドゥーに並べられた小さな石達は、星屑のような光を放っている。ネックレスや指輪に加工されているものもあるが、石だけの物も多かった。その色とりどりの輝きに溜息をつきながらも、どうせ冷やかしだから、一周したら店を出ようと眺めていた。

「オ嬢サン、見ルノハタダネ、コレ、素敵ダヨ」

店主らしい人物に声を掛けられた。日本人は、いいカモに見えるんだろうなと思いながらも、どんな石なんだろうと気になってノコノコとそちらに向かった。

赤にブルー、目が覚めるようなグリーン……いかにも宝石ですといった、ひときわ鮮やかな色彩の石が並べられている。綺麗だとは思うけれど、その派手さが趣味ではなく、苦笑いをした。そして、様々な形にカッティングされた石の中に、ビー球のようにつるりとした、一見宝石にも見えないような地味な石があたしの目に止まった。

これは何ていう石? と聞くと、店主は嬉しそうにこう言った。

「オ目ガ高イネ~」

どこからこんな日本語を覚えてくるのだろう? 込み上げてくる笑いを堪えながら、ピンセットがその粒をそっと摘み上げて小さな黒いビロードの皿の上に置く様子を眺めていた。

トロリ。

そんな音が聞こえた気がする。蜂蜜の滴のような石だった。

店主はその石に光を当ててみせた。丸みを帯びた石の中央に一本のシルバーホワイトの光彩が浮かび上がる。

あ、これって……、闇の中で浮かび上がる、猫科の野生動物の瞳のようだ。キャッツアイだっけ? そう口にしようと思った時、店主が説明を添えてきた。

「猫目石ネ」

古風なその日本語が、こんな異国の南の島の男の口からこぼれた事に驚いた。

「猫目石ニハ魔力ガアルネ。人生ヲ導イテクレルヨ」

猫目石……。その響きに更に魅了された。

「指輪ハメルノダケナラタダネ」

商売上手な男だ。その石に見とれていると、そそくさと男は同じ石がはめ込まれたリングを出してきた。少し太めのシンプルなプラチナに埋め込まれた猫目石は、持ち主を探すような眼差しを投げてくる。

一目惚れ。

試してみるだけならと、薬指にはめてみた。何故だかその指が一番似合う気がしたから。

「ピッタリネッ!」

店主は大げさなくらい嬉しそうな声をあげる。指の上で買ってくれと、猫がおねだりしている気がする。

すっと目の前に電卓が差し出される。モルディブにもう一度来れるような値段だった。あたしが苦笑いしながら、名残惜しそうに指輪を外そうと指を添えた時、背後から淳の声が響いた。

「買ってあげるよ」

びっくりした。何言ってんの? 値段だって知らないはずだ。

指輪。

一度も買って貰った事なんてなかった。ピアスやネックレスはあっても。なんで今更? あたしは淡々とリングを外した。

「……いらない」

「えっ?」

「アンタからの指輪なんていらないって言ってんのよっ」

飛び出すように店を出るとアリが煙草をふかしていた。

「桟橋わかるから、先に行ってる」

すたすたと一人で歩き始めたあたしを、驚いた様子でアリが見送るのがわかったけれど、取り繕う余裕がなかった。

馬鹿みたいだ。

値段を見たら、淳は肩をすくめて苦笑いするだけだったはずなのに、何をそんなムキになってあんな事を言ってしまったんだろう。

ずっと本当は指輪が欲しかった。

エンゲージリングなんて深い意味のものでなくても、クリスマスや誕生日に愛の証のような気持ちにさせる指輪が欲しかった。

だけど、この最後の旅行で、はじめての指輪なんて淳から受け取れるはずもないではないか。あんな態度を取ってしまって、バカンスを台無しにしてしまった。楽しく、素敵なバカンスで締めくくるはずだったのに。

どんな顔で淳に会えばいいのだろう……桟橋のわきにあるカフェに座ってぼんやりと途方に暮れていた。

三十分くらいしてから、アリと淳は現れた。遠くから近づいてくる二人の、楽しそうに話しながら笑っている様子が見て取れて、あたしは胸を撫で下ろした。

ごめんね。と言おうと思ったけれど、淳が先に話し出したのであたしはその台詞を飲み込んだ。

「道でアリの奥さんに会っちゃったよ。コイツ照れちゃって可愛いんだぜ」

「淳ハイジワルネ、僕ノ事カラカウンダヨ」

そう拗ねた口調であたしに訴えながらも、幸せそうにアリは微笑んでいた。

ヴァドゥに戻るドーニが出発する時間だ。桟橋からアリはあたし達を見送ってくれた。淳が先に船に乗り込んで、あたしは最後にアリと握手を交わした。

「マタ、淳トモルディブニ来テ下サイ」

そう言葉を掛けながら、彼はあたしを覗き込んできた。純朴な真っ直ぐな瞳に射抜かれて、首を横に振る事なんて出来なかった。あたしは曖昧な笑顔を見せると、船に乗り込んだ。いつまでも手を振ってくれるアリが、どんどん小さくなるのを淳と二人で見送っていた。

薄暗くなった空を二人で見上げる。南国の陽射しに隠されていた星が、闇のキャンバスに浮かび始めていた。

淳がそっと肩を抱いてきた。あたしを包みこ込む手の感触が心地いい。

神様は残酷だ。

失う寸前に、切実に望んできたものをあたしに与え続けるなんて。
だけど、今は……こんな夢のような時間に身を任せてみよう。愛した人と過ごすこのひと時を、深く胸に焼き付ける為に。

「すげぇ、星が降ってくるみたいだな」

淳が指差した先に天の川があった。雲の帯のようにぼんやり見えていたそれは、暗さを深めていく夜空に真実の姿を現し始める

星屑……その言葉の通り砕かれたような細かい光が集まって、夜空に零れ落ちそうな光の道を映し出していた。

忘れないで。

こんな夢のような夜空を見上げたこの瞬間を。

忘れないで。

その時、あなたの指に繋がれていたのはあたしだって。

 

今日も淳の温もりの中で目を覚ます。長い付き合いでもこんなに一緒に時間を過ごした事はなかったから、不思議な気分だ。朝一番に目にする光景に、彼が含まれているのが当たり前になっていく感覚。一緒に暮らすってこんな感じかな?

あと数日でバカンスは終わる。日本に帰って最初に会う週末に別れ話を切り出そうと思っていた。淳がいなくなるって実感がわかない。

ここで過ごす時間はきっと特別だろうとは思っていたけれど、想像以上に素敵だったから、淳に愛されているような錯覚さえしてしまうから、だから、ちょっと胸が苦しくなる。

あたしの決断は間違っているんじゃないか、なんて不安になる。この島全体を覆う、南国の甘い空気に惑わされているだけだというのに。

淳を愛した時間。何のしがらみもなく、ただ好きだから過ごしてきた歳月。彼を愛してきた事を後悔したくなかった。しがみついて、情けない女に成り下がりたくもなかった。

あたしにとって彼は人生においてずっと抱きしめていたい大事な宝物。この“別れ”は小さなガラスケースに想い出をしまい込む作業なのだ。想い出の欠片は、摘み上げる時にチクリとあたしの指先を貫く事もあるかもしれない。けれど、綺麗にディスプレイされてしまえば、それは、マーレの宝石店で眺めた石のように、静かに胸を高鳴らせる輝きを放つだろう。

最後、彼と過ごす場所に、ここを選んでよかった。だって、その小箱に波の音すら添えることが出来るのだから。

小箱の底に敷き詰められるホワイトサンドは、想い出の宝石を鮮やかに引き立たせる事だろう。

「もう起きてたの?」

目を覚ました淳が、ごそごそと動き始めるのがシーツ越しに伝わってくる。

「千花はこの島に来てからずっと早起きだよな」

早起きって言ったって朝の七時だ。四時間の時差を考えれば日本はもう昼前なのだ。

淳はすぐにその場所に溶け込める特技を持っている。まるで何年もこの島で暮らしているかのように物慣れた様子は見事な程だ。昨夜なんてあまりにも綺麗に焦げた淳の肌の色にホテルスタッフだと勘違いしたドイツ人ゲストが、ドリンクを注文したいと声を掛けてきた。

「……何、思い出し笑いしてるんだよ」

「昨日のドイツ人面白かったね。慌てちゃって」

拗ねたような仕草で淳はベットから抜け出すと、カーテンを一気に開いた。

「おっ、今日もいい天気だな」

 

 

海の中にも南国の光は降り注ぐ。光が届く限り、海の中はどこまでも見渡せて、水の中にいるという感覚さえ曖昧になってしまう。

何百匹というギンガメアジの大群が、海中に現われた竜巻のようにグルグルと渦を巻く。ポチャンと飛び込んでほんの少し泳いだだけのこんな場所で、当たり前に見られるこんな光景。

海は命が溢れている。金魚鉢を泳ぐ金魚を覗き込みながら、生きている魚ってこういうものだと思っていた。人間よりはるかに彼らは地球を知っているんだなんて、気が付きもしなかったあたしは何て無知だったんだろう。

光と水が溶け合う海は、色とりどりの魚の雨が降る。
羽ばたくように目の前を悠然と通り抜けていく海亀。
竜宮城の話が生まれた頃の日本も、これと同じ海の輝きを持っていたのだろうか?

ビーチの木陰で今、見かけた魚のカードを選んで並べる。シュノーケルの後の恒例になったゲーム。うかうかしてると、またあのハダカの王子様にカードをさらわれてしまう。淳が子供と同じテンションで怪獣のまねなんてしながらカードを取り返しに追い掛け回したりするから、すっかりあの子はそういうゲームなんだと思っていて、あたし達がカードを広げるていないかと、どこかで覗いていたりするのだ。

「子供嫌いなんじゃないの? 」そう、嫌味を言うと、「アイツは可愛い」と淳は苦笑いをした。

だけど、今日はカードを並べてもハダカの王子は登場する気配がない。ベビーとお昼寝でもしているのかもね。

淳がちらりと隣のバンガローを見つめるのが判って、あたしは笑いをかみ殺した。

どっちが遊んでもらっているんだか……。

「煙草、取って来る」

ふわりとすれ違いざまに、髪を撫でられた。あたし達のバンガローに向かって歩いていく淳の後姿を見送る。

現地スタッフに間違えられるほどに色づいた背中。昨夜、ベットの上でその肌に回した自分の腕の白さとのコントラストをふと思い出し、心が揺れた。

失いたくない。

だけど、知ってしまった甘美な時間は、いつもの関係に戻った二人をより色褪せたものに変えてしまうだろう。この場所でいつもあたしを求めてくれた彼の眼差しを、探しては途方に暮れる哀しみを繰り返したくはなかった。

結論は出ているのだ。

昨日、マーレで眺めたおおらかな南国の人々の様子を思い浮かべる。この島にいる間は、心地の良い風に身を任せていればそれでいい。

 

ほんのひと時、うたた寝をしていたみたいだ。いつの間にか戻ってきた淳が、隣で煙草を吹かしている様子に目を覚ます。瞼が気だるく重たくって、眠りの淵をさまよっていたのだとぼんやりとした頭で思った。

いい枕がある。

海に向かって投げ出された淳の足に手を伸ばした時だった。

きらり。

あたしの指先に光を弾く何かが目に入った。

「何? これって……」

薬指に昨日一目惚れした、あの指輪が光っていた。

「俺、ずっと気ままな一人暮らしだったけどさ、猫とでも暮らしてみようかなと思うんだよね」
状況がつかめないまま、突然、海を見ながらそう話し始めた淳に、ただ話を合わせるために言葉を返す。

「……アメリカンショートヘアとか可愛いよね」

「鈍いねお前は。話の流れを読んでくれる?」

淳はあたしの指先を掴んで口元に近づけると、薬指の小さな石にそっと口付けた。

「俺の暮らしたい猫って、蜂蜜色の猫の瞳を指にはめてる女の事なんだけど」

「はっ?」

「プロポーズ。返事聞かせてよ。ゆっくり考えさせてなんて言うなよな。五年も付き合ってりゃ俺のことわかってるだろ?」

「……何言ってんのよ。あんたの事なんて益々わからないわよ。結婚なんてまだまだしたくないって言ってたじゃない」

「気が変わった。いや、ここに来て気付いたんだよね。お気楽に遊ぶだけなんてつまんないなって。家族を作って人生を楽しむ。ロングゲームだけどそんなのもいいじゃんって……さ」

そう言って、淳はビーチを見つめた。

彼の視線の先を辿ると、あの小さな男の子が波打ち際で、父親と大きな砂の山を作っているのが見える。波に崩されてさらわれていく様子に子供ははしゃぎ、父親が削れた部分を修復している。

回転木馬は止まったのだろうか?

あたしはもう、不安な気持ちで彼の後ろ姿を見送らなくてもいいというのだろうか?

プロポーズ…あまりにも急な展開に頭が回らない。だって、あんまりにも話が上手すぎる。まるで魔法でもかかったようだ。

魔法? あれ……そんな台詞どこかで……。

“猫目石ニハ魔力ガアルネ。人生ヲ導イテクレルヨ”

あたしは指輪に視線を移した。太陽の陽差しの下でその石は、より透明なハニーイエローに輝いて、光の線を描いた瞳で見つめ返してくる。

「俺といると楽しいよ。後悔させないから。な、返事聞かせてよ」

相変わらすな男だ。これじゃあ初めて出会った五年前の、あの日を繰り返しているみたい。大きく違うのは、二人がいる場所が、珊瑚礁の海に浮かぶ小さな小さな南の島だということ。そして、南国の陽に焼けた淳は、屈託のない笑顔であたしの心を魅了する。

だからあの日と同じように頷いて見せる。

薬指の猫目石をそっと撫でながら、“いいわよ”って言う代わりに「にゃー」と返事を返してみた。淳はあたしの好きな顔で「何だよそれ」って笑った。

「でも、この指輪、高かったでしょ? 無理しなくて良かったのに」

「あんなの、日本人向けの吹っかけた値段に決まってるじゃん。思いっきり値切っちゃったよ」

……値切った?

「宝石屋のオヤジと電卓叩きまくってさ、アリまで混じって泣き落としだよ。彼女に捨てられるって」

……泣き落とし?

「ま、最後に泣いたのは宝石屋のオヤジだったけどな……原価割ったかも知れねぇな」

……原価割れ?

ドカッツ。

無意識に淳を弾き飛ばしていた。

「黙ってなさいよ。エンゲージリングを値切った話なんかっ」

「痛てぇ~。お前今、足で蹴った? 未来の旦那様に何するんだよ」

旦那様……その言葉に過剰に反応して、急に顔が熱くなっていくのが判る。それに気付いたのだろう、可笑しそうに口の端を上げて、からかうように淳が覗き込んでくる。

「嫌いよ」

憎まれ口を叩こうにも、そんな言葉しか思いつかない。しかも媚びるような甘えた響きさえ含ませて……。胸の奥に仕舞い込んでいた憂鬱が、嘘みたいに軽くなっていく。これもあの石の魔力なのだろうか?

人生は、こんな風に甘くないかもしれない。その時に、乗り越えていけるだけの強さをあたし達が備えているかも疑問だ。

だけど忘れないから

この海を、ここで過ごした一瞬の輝きの全てを。その記憶を共用するのは自分達だけだって事も。それはきっと少しだけ、あたし達を強くしてくれる。

「アリに報告しなくちゃな。お陰様でってさ」

その言葉に、桟橋の上で別れ際にあたしに語りかけた、南の島の素朴な青年の瞳を思い出した。

“マタ、淳トモルディブニ来テ下サイ”

淳があたしの身体を引き寄せる。彼の黒い影に覆われて、あたしは小さく幸福の甘い溜息を漏らした。彼の首に巻きつけた指先には、あたし達を覗き見する小さな瞳がぶら下がっている。

ビーチで交わす誓いのキスの向こうに響くのは、ささやかな波の音。

その波音の隙間から、からかうような猫の鳴き声が耳をくすぐったのは気のせいだろうか。

 

【END】

★この小説の舞台、ヴァドゥ写真集★

写真提供 常夏アイランド

目次

ケロンパは基本8日+三食付で20万程度をいつも探します。
♥︎ ハネムーナーはゴージャスな水上コテージも素敵♥︎

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