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魅惑の擬似バカンスをご堪能下さい

バロス ウェディング モルディブ 小説3

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モンスーンの影響か、暗い海面を流れてきた風は開いた便箋をバタバタと揺らす。飛ばされないように握り締めて、1枚きりのその手紙の文字をあたしは追っていた。

何度も

何度も

ゴウッという音と共にひときわ強い風が桟橋を横切り、まるで海鳥が飛び立つように暗い空に手紙が舞った。膝に置いてあった封筒もいつの間にかなくなっている。

あたしはそこにしゃがみこんで、ぼんやりと桟橋のライトに集まる魚の群れを見ていた。

頭が真っ白で、何も考えられなかった。

ビーチの向こうから、手を振って了がこちらに歩いてくるのが見て取れる。あたし、どれくらいここにいたのだろう?待ちきれなくて探しにきたに違いない。

「一人でこんなとこ…どうしたの?」

「ごめんね…酔っ払っちゃったみたいで酔いを覚ましていたの」

そっかと、優しい笑顔で了はあたしの隣に腰をおろした。

「二人で…こんな風にゆっくり過ごすのってなかったな」

「そうね」

少しの沈黙の後、了がぽつりと言った。

「…瞳からの手紙…届いた?」

「…うん」

「ビックリしただろう?今まで…辛い思いばかりさせてごめんな…」

弾かれたように了を見詰めて、首を横に振った。涙が溢れてきて言葉が出ない。堪えても堪えても小さく漏れる嗚咽が肩を揺らしていた。

了は手を伸ばしてあたしをそっと引き寄せると、両手で優しく包んでくれた。その温もりの中で目を閉じてみる。ずっとずっと…大事な友達を傷付けても手離せなかった、了の匂いがした。

“あたし、お母さんになるの…樹里ちゃん…”

手紙の最初に飛び込んできた文字。

“自分でも驚いています。まさかヒロと出来ちゃった結婚する事になるなんて。
だけど、今、幸せだなって…そう思えてる自分が嬉しいです。
2年前、自分の感情だけであんな騒ぎを起こして、皆を傷つけてしまった事を今更ながらお詫びさせてください。
了と樹里ちゃんの結婚におめでとうも言えない自分が悲しかった。
ごめんね。二人とも大事な友達だったのに。
また、皆でキャンプに行ったりしたいなんて、言ったら呆れられるでしょうか?
もしも許されるなら樹里ちゃんにまた会いたいです。
もっと早く手紙を出したかったのに、つわりがひどくて入院してて連絡が遅れてごめんなさいね。
当分千葉の実家の方にいるので、良かったら連絡ください。”

「こっちに出発する前の日にさ、朝電話鳴ったの覚えてる?あれ瞳だったんだ。これから成田空港に行くって言ったら、じゃあ、ちょうど千葉の実家に帰ってるところだから会って話したいことがあるって」

そう話しながら了は、子供をあやすみたいにあたしの髪を撫でてくれた。

「樹里には自分から手紙を書くからって口止めされてたんだ。ヒロにはこっちに着いてから電話したら、落ち着くべきところに落ち着いただけだなんて言われてさ…参ったよ」

了は安心したような顔で苦笑いをした。いつの間にか風は止んでいた。了の肩ごしに優しく光を放つハーフムーンが涙でぼやけた視界に浮かんでいる。

この月を…ずっとずっと忘れないだろう。

「そうだ、今更だって思われるかもしれないけど…俺達の結婚式の事なんだけど」

ケッコンシキ?

あたしは不思議な気持ちで了をのぞき込んだ。

「一緒にこっちに赴任した同僚の奥さんがマーレでリゾートウェディングのプロデュースの会社に勤めてるんだ。三人で食事した事があってさ、参考までにどんな結婚式を挙げたのか教えてくれって聞かれて… 」

了は落ち着かない様子で話している。言い訳をする子供みたいにチラチラと視線を泳がせて。そんな彼を見た事がないので、あたしは何だか母親のような気分で耳を傾ける。

「式も披露宴もしてないんだって言ったら呆れられてさ、絶対樹里が喜ぶからって…明日この島、バロスで式挙げる段取りしてくれてるんだ」

あたしはきょとんとした顔をしていると思う。了が告白した事実がよく飲み込めなかったのだ。

「…勝手な事してごめん。すぐに言い出せなくて」

「でも、そんなドレス…持ってきてないし」

「向こうでみんな用意して明日持ってきてくれる事になってる」

「調子に乗って日焼けして真っ黒になっちゃったし…」

ひどい

ひどい

知ってたら、もっともっと綺麗な花嫁になる為に用意したのに。

あたしは、ぷいっと立ち上がって桟橋の先端に向かって歩きだした。了が慌てた様子で追いかけてくる。

「ごめん、ちゃんと話しとくべきだった」

そんなセリフが背後から響く。あたしは…拗ねたふりをして了に甘えているのだ。

こんな事をしている自分に驚いた。ついさっきまでこれ以上落ちようがないほどの絶望感の中にいたというのに。困り果てた了の顔に満足して、あたしは振り向くと素直に言った。

「嘘よ…すごく嬉しい…ありがとう」

色んなことがありすぎて、まだ現実感がない。この島は夢との境界線が曖昧なのだ。

翌日、朝食を食べていると、隣のテーブルに日本人の家族がボーイに席を案内されてきた。昨夜遅く到着したのだろう。日本人を見るのは久しぶりで、初対面だというのに懐かしい気分さえ湧いてくる。軽く会釈してお互いに挨拶をする。

幼稚園くらいの可愛い女の子が手を振ってきた。可愛らしくて、微笑ましい気分でゆっくりと、甘い紅茶に口をつけた時だった。

了が、レストランの入り口のほうを指差した。人懐こい笑顔で、日本人のカップルがこちらに向かってくるのが見えた。

「おはようございます。ウェディングプランナーの中村です。今日はささやかだけどきっといいお式にしますのでよろしくお願いします」

席に着くなり、彼女のほうがペコリと頭を下げた。そんな風に改めて言われて、慌てて了とあたしも頭を下げる。今日何が起こるのか、期待と不安でドキドキと鼓動が早くなるのを感じていた。

式はサンセットが始まる四時半からだ告げられる。まだまだ時間があるからと、午前中はバロスのスパで丁寧に体中を磨き上げられた。そして、昼食を取り、ひと休みすると、支度を整える部屋に案内され用意されたドレスに袖を通す。

シンプルなアイボリーのウェディングドレス。ドレスというよりは、南の島らしいロマンティックなワンピースといった感じだ。

「それ、まだ誰も着てないんですよ。カタログでヒトメボレしてあたしが仕入れたんです」

センスのいいコーディネーターでよかった。サイズもまるであつらえたようにぴったりだった。

あたしより、彼女…千佳の方が嬉しそうにはしゃいでいる。器用な手つきで千佳はパールシルバーのマニキュアをあたしの爪に塗りながら言った。

「樹里さんって外資系の会社にお勤めなんですよね、お友達で南の島好きな人とかいますか?」

「そうね…サーファーで、ハワイとかならしょっちゅう行っている子はいるけれど」

「ですよね…モルディブとかって耳にした事はあっても、行ってる人って身近に意外といないですよね」

千佳が少し困った顔をしているのが分かって 「どうしたの?」 と尋ねてみる。

「今、うちの会社、日本人のアシスタントスタッフを募集してるんですけど、なかなか決まらなくて。日本の友達とかみんな南の島で暮らすなんて羨ましいとか言うくせに、じゃあ仕事でこっちに来ない?って誘うと、何にもなさすぎて不安だって…旅行ならいいんだけどって」

「マーレでの生活ってどう?そんなに何にもないの?」

「あたしは気に入ってるんですけど…結構、何でもありますよ?アイスクリーム屋も中華料理屋も…素朴だけど」

彼女は思い出したみたいに小さく笑った。

「その仕事って….あたしでも出来るかな?」

「え?樹里さん?…だって日本でのお勤めあるでしょう?ずっとこっちに何年もいるわけじゃないし…辞めるのもったいなくないですか?」

「…いいの。もしこっちで仕事あるようだったら辞めても」

「ホントに?あたしは嬉しいけどすごく。だけど了さんに相談しなくていいんですか?返事、ゆっくりでいいですよ」

「いいの。決めちゃった。でも雇ってもらえるかな?千佳さんのボスこそあたしを気に入るかわからないよね」

「あたし以外、皆現地スタッフなんです。この件については人選、一任されてますからOKです」

思わぬ展開に、自分が結婚式の支度をしている事すら忘れていた。だけど、千佳はさすが慣れてるのだろう。おしゃべりしながらも、手を休めることなく綺麗に全ての爪を塗り変えていた。

あたしと千佳はパソコンのメールアドレスを交換してお互いのバックにしまいこんだ。

「ビックリさせたいから了には内緒にしてね」

と言うと、彼女は頷いて人差し指を唇の前で立てる素振りをした。その仕草があどけなくて、年を尋ねると3つ年下だった。瞳と初めて出会った時のあたしの年だった。そしてあたしはあの頃の瞳と同じ年齢になっていた。

楽しみだと素直にはしゃぐ彼女を妹を見るような気分で見詰める。

…瞳に会いたい。バロスから日本に帰ったら、何よりも一番に彼女を訪ねに行こうと思った。

ドアをノックする音がして、了が部屋に入ってきた。彼はラフな麻のアイボリーのスーツを着ている。上着の下を覗くと、仕立ての良い同じ色のTシャツを着ていた。胸には一輪、この島でよく見かける赤い花が挿してある。日焼けした肌に全てが映えていて、あたしは甘ったるい感嘆の溜息を小さく漏らした。

けれど、了の方は…ドアを開けっ放しのままで、そこにぼんやりと立ったままだ。

「クーラー逃げちゃうよ?」

そう問い掛けるあたしの脇で、千佳が冷やかしの声をかける。

「あんまり樹里さんが綺麗で見とれちゃってるんですよね?」

千佳はテーブルの上のメーク道具を手際よく片付けた。

「もう少し時間ありますから、お二人でここでゆっくり待っていて下さいね」

気を利かせているのか、そそくさと彼女は部屋を出て行った。ドアの閉まる音が室内に響くと、気恥ずかしくて言葉のないあたし達は静まり返った空気の中にいた。

だけど、それは心地の良い沈黙。

なにも口にしないでただお互いを見詰めた。

すでに二年も夫婦をしてきたというのに、本当に今日結婚するような気分になる。了は少し照れくさそうに笑うと、近づいてきて胸に挿してあった赤い花をそっとあたしの髪に飾ってくれた。

鏡を覗くと、それは南の島にふさわしい小さなティアラのように輝いてすら見える。そして、幸せそうにはにかんでいるあたしが映っていた。

背の高い了の耳もとに唇を寄せて、あたしはこの二年、決して口にすることの出来なかった言葉を小さく囁いてみる。瞳より彼を想う気持ちが大きくなければ言ってはいけない気がして、ずっと飲み込んできた告白。

だけど今は、あたしの心に灯る想いならば、言葉にしても許されるのだと思えた。

溜息みたいに小さく、慣れない台詞を口にする。

アイシテル…

了はちょっと驚いた様子であたしをのぞきこんだ。そして同じ様にあたしの耳元に唇を寄せて「俺も」と小さく呟いておでこにそっとキスを落とす。挙式はこれからだというのに、あたしたちは誓いの言葉をこの小さな部屋で交わしてしまった。

ノックの音と共に千佳が部屋に入ってきた。そして赤い花に目をやると、手を合わせて言った。

「あらっベールよりこっちの方が素敵ですね。髪、これでいきましょう。そろそろお式に向かいましょうか」

ビーチに向かうと白い砂浜に花びらが散らされたバージンロードが出来ていた。いつの間にこんなに人が集まったのだろうか?島のゲストたちがこの小さな儀式を物珍しそうに見物に来ていた。あたし達の姿を捕らえると、ウェディングだと認識したのだろう、笑顔で拍手さえ沸いてくる。そして誰がそうしろといったわけでもないのに、お行儀良くバージンロードの両脇に並んで、あたし達を出迎えてくれた。

普通の結婚式と違うのは、ゲストの皆が水着で、新郎新婦が裸足だという事だろうか。その一番前に、朝、手を振ってくれた女の子が驚いた様子でこちらを見ていた。そして、邪魔しちゃダメよという母親の手を振り払って、あたしの方に駆け寄ってきた。お姉ちゃんお姉ちゃんと、慌てた様子であたしに何かを訴えている。

その子の目線までかがみこんで 「なあに?」 と声をかけた。

「お姉ちゃん…この島のお姫様だったの?」

あたしは何て答えてよいのか…照れたように微笑んで、その子の頭をそっと撫でていた。

そして小さく教えてあげた。

「大人になったらあなたにも王子様が迎えに来るからね」

その子は嬉しそうに母親の元に足早に戻り、甘えた声でおねだりをした。

「ママ。あたしにもお姫様のお花、髪につけてよ。ねぇお願い」

ママの仕事を増やしちゃったかなと思いながら、了と手を繋いでゆっくりと歩き出した。女の子は急に黙って、通り過ぎるあたし達を大きな瞳で見詰めている。

羨ましげに憧れの視線を向けてくれる、その可愛い眼差しが何だかくすぐったくて…時代は移っても変わらないのだろうか、女の子が憧れる絵本の挿絵の1ページ。この風景が彼女にはそんな風に映っているのかもしれない。

大人になったあたしは、その夢物語の最後のページをありふれたハッピーエンドで今、締めくくるのだ。

そして海よりも深く…深く…あたしは心に刻み込む。

隣で優しく触れる愛しい人の指先を。

バロス/写真(別窓)

[END]

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