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魅惑の擬似バカンスをご堪能下さい

プロポーズ 指輪 猫目石 ヴァドゥ モルディブ 小説

投稿日:16/07/2018 更新日:

恋の終わりを贅沢なバカンスで締めくくろう。
少し色褪せたときめきに、艶やかな華を添えて、南の島の想い出を胸にひっそりと幕を降ろすのだ。そんな最後なら、あなた私を忘れないでしょう?
【小説紹介文】

プロポーズ 指輪 猫目石
ヴァドゥ モルディブ 小説

猫目石の憂鬱(ヴァドゥ)

恋の終わりを贅沢なバカンスで締めくくろう。

少し色褪せたときめきに、艶やかな華を添えて、南の島の想い出を胸にひっそりと幕を降ろすのだ。そんな最後なら、あなた私を忘れないでしょう?

 

猫目石の憂鬱(ヴァドゥ)

 

南国のスコールは、珊瑚の欠片で創られたこの島を、溶かすように降り注ぐ。

こんな雨音を初めて耳にした。小さなバンガローは幾千もの雨粒に弾かれて、珍しい異国の楽器のように絶え間ない音を奏でている。その響きの中で目を覚まし、隣で眠る恋人の寝顔をぼんやりと眺めていた。

付き合ってから、彼の温もりを感じながら目覚める朝を何度繰り返したのだろうか。スコールの音が目覚まし代わりの朝は初めてだと思うけど。

ひんやりとした床に足をつけてそっと窓から外を眺める。雨のカーテンに遮られて、すぐそこにあるはずの海がやけに遠くに感じられた。

幾度となく繰り返し眺めたパンフレットの海の写真。その眩しさを思い出し、知らずに苦笑いがこぼれる。

ほらね。期待しちゃいけないのよ。

夕べ真夜中にこの島に着いて、初日の朝だというのにこの天気。

だけどこんな始まりがふさわしいバカンスなのだ。雨音は、一週間後には終わるあたし達にふさわしい前奏曲だと思えばいい。

悲しみより満たされていく安堵感があたしの心を包んでいく。

期待しないって、なんて気が楽なんだろう。

愛されるこ事を
求められる事を
諦めたあたしは優しい女になれた気がする。

期待しなければ裏切られることも、傷つくこともないなんて。

穏やかな気持ちでシーツの隙間に潜り込む。雨音を今度は子守歌に、再び心地いい温もりに身を任せて瞼を閉じてみた。

 

二十二歳から付き合って、同じ年のあたし達はいつのまにか二十七歳になっていた。女から結婚について切り出すのは、長い付き合いでも勇気のいる事。願わくば、そんな話はプロポーズの言葉と指輪を添えて男の口から聞きたいのが女心というものだ。

だけど、ふたり揃って友人の結婚式なんて参列したって、淳の口からはプロポーズ、指輪どころか結婚のケの字だってこぼれはしない。

久しぶりに勢ぞろいした友人達と二次会、三次会とハシゴするうちに、酔いの回った一人が冷やかすように聞いてきた。

『淳と千花が一番付き合い長いんじゃない。アンタ達結婚しないの?』

あたしは困った顔で隣に座る淳に視線を移した。心の中では、この後の彼の答えに期待しながら。

『俺、三十過ぎるまで結婚なんてしたくないよ』

『じゃあ、千花も三十になっちゃうじゃない。女は子供産んだりするんだから、色々大変なのよ』

『子供なんて好きじゃねぇもん』

女友達は呆れた顔で淳を見ると、同情の眼差しであたしに視線を移した。あたしはおどけた仕草で肩をすくめてみせたけれど、血の気が引いていくのを感じていた。

バージンロードを歩く花嫁を、誓いのキスを交わす二人を、数時間前、微笑ましく見つめながら未来の自分と重ねていた。ベールをそっと上げて、あたしを覗き込む相手は、やはり淳だといいな、なんて。

五年も付き合っていれば、女だったらそんな事を少しは考えるでしょう?

三十歳……じゃあ、あと三年経ったら結婚しようと思うのだろうか?

“子供なんて好きじゃねぇもん”

あたしだって子供の相手なんて得意じゃない。だけど淳の子供だったら、きっと可愛いだろうなって思う。自分の子供は欲しいなって。

あたしは馬鹿だ。救いようがない。

一人で勝手に淳とは上手くいっているのだと思い込んでいた。こんなに長く付き合って、分かり合って愛し合っているんだなんて信じていた。バージンロードの先であたしの手を取るのは淳なのだなんて……。

一緒にいると楽しかった。時間を重ねて尚、馴染んだ毛布のように淳は、居心地よくあたしを包んでくれた。

一人暮らし同士だけど、会うのは週末だけと決めていた。アパートの距離は電車で十五分程だったけれど、平日会う事はほとんどない。

週末のんびり会えばいいじゃん。

そう淳が言ったから……平日会いたい事があっても、その気持ちを飲み込んでいた。より休日を楽しく過ごす為に。

よく考えると遊んでいただけなのだ。

楽しく。
おかしく。

結婚なんていう現実は、彼にとってこの生活にピリオドを打つ疫病神なのだろう。

穏やかだった水面に投げられた波紋は、心の隅ずみまで広がって、あたしをゆっくりと揺さぶり始めた。

 

「うわぁっ、すげぇいい天気っ、起きろよ千花」

やけにはしゃいだ声に揺り起こされる。ドアが開け放れていて、そこから覗く鮮やかな色彩に言葉を失った。明け方、雨の向こうに見えた海はやけにぼんやりと遠かったのに、今は降り注ぐ陽差しを受けて、一歩踏み出したコテージの前一面に、光を弾いて広がっている。

すごい。すごい。

パンフレットの風景が、穏やかな波音を響かせて、あおいゼリーのように揺れている。

「あれ? テラスの椅子濡れてるじゃん。雨なんていつ降った?」

不思議そうな淳の声。

そう、彼は知らないのだ。このバカンスの為に奏でられたあの雨の前奏曲を。

いつだって、この人は何も気付かない。あたしの眠れない夜にも。このバカンスの本当の意味にも。

島を一周二人で歩いてみる。歩いて五分程で元の場所に戻ってきた。あまりの小ささに笑いそうにさえなった。

このは珊瑚の欠片で出来た島の名はヴァドゥ。モルディブの海に散らばる島のひとつ。

「こんなトコに一週間も居られるなんて、すごいな……」

そう言って淳は眩しそうに目を細めて、空を仰いだ。

やめてよ……そんな顔。楽しい事を見つけた時の無防備な彼。あたしの好きな仕草。

目を反らして彼の肩越しに広がる水平線に視線を泳がせる。深呼吸をすると、強張った体からすうっと力が抜けた。

あたし達の関係はとりとめもなく廻るメリーゴーランドのようだ。

一緒に乗ることのないメリーゴーランド。

淳だけが馬の玩具にまたがって手を振ってみせる。

柵の外でその手を振り返すのはあたし。通りすぎた彼の後姿を見送りながら、また一周回ってあたしの元に戻ってくるのを待ちわびる。

人の群れの中から、あたしを見つけ出して手を振られる瞬間の幸福感。だけど、そのひと時の為に、また戻ってくるのかという不安を胸の中で押し殺し、くるくる回る馬や馬車を見送るのだ。

想う気持ちはいつもどちらかに傾いているものだ。恋人同士でもより愛する者と愛される者に役は決まっている。全く同じなんて事はないのだ。

最初に出会ったあんな一瞬で、すでに配役は決まってしまった。愛を注ぐ女と、それを受ける男。愛があったから始まった付き合いでもないというのに。

お互いの共通の友人が、シングル同士のあたし達を紹介した。そんな始まり。

お似合いだと思うよ。なんて、わざわざ世話好きの友人はあたし達が出会う為の飲み会をセッティングをしてくれた。帰りは同じ沿線だから送ってあげなよと二人きりにさせられると、淳は自己紹介の延長みたいにあたしに聞いてきたのだ。

『どうする?俺達』

あたしはその唐突な意味もつかめず、返事に詰まっていた。

ドウスル? オレタチ。

『こうやって紹介されてさ、とりあえずお友達から……なんて感覚、俺ないんだよね』

つい数時間前に会ったこの男について、知っている事は名前と年と勤め始めたばかりの職業。その男が話し出した言葉の行く先を不思議な気持ちでただ聞いていた。

『友達なんて意味ないでしょ? とりあえず付き合ってみない、俺と。楽しませる自信だけはあるんだけどな』

何を根拠にそう断言できるのか、彼はあたしに再び問いかけてくる。

『どうする? 俺達』

どうやら、常識が違うらしい。なんて軽い男なんだろうと、呆れた気持ちさえわいてくる。

だけど、呆れながらもある意味正直でストレートな誘い文句は、あたしの心を弾く素質があったのだ。それに何よりも、この自信に釣り合うくらいの容姿と雰囲気を目の前の男は持ち合わせていたから。

きっとあたし、その時の生活にちょっと退屈していたのかもしれない。恋愛なんて始まりがいいかげんな程、終わりも早くくるものだ。美味しいところだけ齧って、ひと時の恋人ごっこを楽しむのも悪くない。

『いいわよ』

飾りもつけずに、その恋人の契約とやらに頷いてみた。満足そうに彼は……淳は手を差し出してきた。早速、恋人同士という名目にふさわしく、手なんて繋いでみようという事らしい。

違和感を感じながらも、契約違反にならないようにあたしも手を重ねてみる。大きな手のひらがあたしの指を包み込む。ちらりと横顔を盗み見ると、はにかむような笑顔の淳と目が合った。
この人、こんな顔するんだ……。

物事を、イエスかノーの二種類だけで切って捨てていくようなクールな性格なのかと思わせておいて、屈託のない子供みたいな笑顔をみせてみせる。あたしの答えにそんな仕草をする彼は、ずっと欲しかった玩具を誕生日に買ってもらった子供のように映った。

女に困るような男にみえないだけに、そんな彼の様子はあたし自身に特別な価値があるような錯覚をさせるのだ。価値っていったって、知り合う時間も僅かだったというのに。あたしの何を知っているという訳でもないのに。

彼の笑顔に繋がれた指の感触が、急に甘く変化していくのを感じた。あの一瞬であたしの役は決まったのだ。

淳は恋を始めた女を手に入れた。だふん、それはあの時の彼が欲しかったものだったのかもしれない。だからあの時、彼はあたしに手を差し伸ばしたのだ。あたしが自分に溺れていく種類の女だと彼は気付いていたのだろうか。

あの時だけ、彼はあたしを求めた。それ以来、温もりを求めて指を伸ばすのはあたしの役目になった。

デートしてキスをして抱き合って、そうして時間を過ごし始めたあたし達は愛し合う恋人同士のようだ。

言葉通り彼は楽しく遊ぶ天才だった。

遊び慣れた大人達だけが集う、夜のクラブシーンに繰り出したかと思えば、葉擦れの音が耳をくすぐる森に、ハンモックで昼寝をする為に車を走らせる。

そんな彼に気持ちが傾く度に不安を感じずにいられない。この人はあたしをどう思っているのだろうと。だけど、そんな不安をさらけ出す事もしなかった。そんな陳腐な台詞は彼の趣味ではないように思えたし、ウザイ女だなんて思われたくもなかったから。

始まりに愛の欠片もないのだという違和感はなかなか消えなかった。だけど重ねていく時間がいつしかそれを上回り始めた。こんなにも長く関係が続くとは。

二年を過ぎる頃には、紹介してくれた友人も驚いていた。女が途切れたのをめったに見た事はないけれど、半年以上続いた淳の恋人を見た事がなかったと。

よっぽど気が合うのね。そう友人は嬉しそうに微笑んだ。

彼の隣があたりまえの場所になっていく事、それはあたしを安堵させた。彼にとって特別な、という意味を感じさせたから。

そして自分の気持ちに力を抜いて、素直になるという心地良さを覚えていった。

寒い夜、彼のポケットにそっと手を差し入れて甘えてみたり、『好き』と耳元で囁いてみる。彼はあたしを見つめ返しながら『俺も』と応えてくれていた。

あたしより先に愛の言葉が投げかけられる事も、手を差し出してくる事もなかったけれど、男の人なんてそんなものだと自分に言い聞かせた。

色素の薄い癖のある髪や、ピアスの跡のある形の良い耳たぶ。休日の無防備な不精髭。

そんな彼の様々な片鱗はあたしを夢中にさせる魅力を持っていたし、何より楽しい事を見つけ出した時の子供みたいなあの顔はスペシャルだった。

長く積み重ねていく時間は、色々な事を勘違いさせる。

二人の関係は時間をかけて煮込んだシチューのようで、最後には舌の上でとろけるような逸品が出来上るのだなんて。

不安や疑心、後悔なんかが蓋の下でぐらぐらと湯気をあげて、不協和音を奏でている事もあるというのに。

五年も経った今になって、その音に気付いてしまった。慌てて、ひと口、またひと口と味見をしてあたしは首を傾げる。

思い描いていた物とは異なる味がすると。

最初の味見はあの二人で出かけた友人の結婚式だった。それからも度々、あたしは指ですくいあげた二人の関係を口に含んでは眉をしかめた。そして、鍋の中身を捨てるべきなのだとある日悟ったのだ。

いつものようにJRの改札に近い広場で待ち合わせをしていた。二階の高さにあるその場所は、沢山のカップルがデートの待ち合わせに利用する。また一人、また一人と嬉しそうに週末の再会に笑顔を見せる恋人達を見送っていた。

なんの気なしに周りを見渡しては溜め息をついた時、目の端に止まる青い色彩があたしを捕らえた。旅行代理店の窓に張られた大きなポスターだった。誘われるように数歩先のその色彩に向かって歩いていた。

“モルディブ。愛する人と過ごす、インド洋の真珠の首飾り”

とポスターの端に書かれている。

今日は、お互い遅い夏休みの計画を立てようと待ち合わせをした。御盆に忙しくて休みを取れない淳に合わせて、あたしも九月末に夏休みを取るよう調整をしていた。

店の外に並べられているモルディブのパンフレットを手に取ってみる。時間潰しにそれを眺めようと、広場の隅のベンチに座った。そこから一階のアーケードは見渡せて、こちらに向かって歩いてくる淳の姿が見えた。

二十分の遅刻。いや、この広場までの時間を考えるとプラス十分といったところだろう。だって、一階のアーケードには淳を誘惑するものが沢山ある。

単館のミニシアターや、ベスパしか置いていないバイク屋。キャンプ道具満載なアウトドアショップ。映画のポスターに立ち止まったりしながら、ふらふらと迷子のようにあちこちのショーウィンドゥを寄り道している。いつもの事だと半ば呆れながらその様子を眺めていた。

すると、淳の脇を走り抜ける人影が目に入った。懐かしい刑事ドラマのワンシーンみたいに、全身で走っていますって様子でその人は、速度を落とす事もなく一気に階段を駆け上がって広場に到着した。

あたしの方に真っすぐ歩いてきて、隣にいた女の子に『ごめんね』と上がった息で途切れ途切れに謝っている。

『遅いよ~』

拗ねた仕草で彼女は彼を睨んでいる。すごい遅刻なのかな……いや、彼女はあたしより後にこの広場に来たはずだ。

座っているその子に、彼氏は手を差し出した。渋々といった様子で彼女はその手に指を伸ばした。そして気付いたように小さく笑って言った。

『汗すごいよ、そこまで慌てなくてもいいのに』

二人の背中を見送っていると、彼らと入れ違うように淳が歩いてくるのが見えた。のんびりと、いつもの彼らしくあたしを見つけると手を振って近づいてくる。遅刻なんて珍しくもない。いつもの事なのに、この瞬間、あたしは悟ってしまった。

この人はあたしの為に走ったりはしない。
自分のペースを崩したりはしない。

あの友人の結婚式から感じていた違和感。わかっていながら認めるのが怖かった。それは人生においてもそうなのだと。

待ち合わせに遅れたのがあたしなら、きっと走って彼の元に急ぐだろう。

“好き”と語りかけるのはあたし。

キスを仕掛けるのも、いつもあたし。

彼は拒絶しないだけ。ただあたしに応えるだけ。

あたし、気付いてしまった。 求められてなんていない自分に……。

『悪かったよ遅刻して……ね? 天気もいいしさ、機嫌直してよ~千花、聞いてる?』

『あ……うん、聞いてる』

何だか、淳の声が遠くで聞こえていた。

『どうしたら、ご機嫌直る?』

さすがに三十分の遅刻はまずかったと思っているのか、バツの悪そうな眼差しであたしを覗き込んでくる。

いつもの週末の光景。だけど、何かが……いや、何もかもが変わってしまった。知らなかった自分に、戻れないって気付いてしまった。

呆然として頭が廻らない。だけどどうしてこんな言葉が出たのだろう。さっき、あの海の断片を目にしただけなのに。

『じゃ、夏休みの旅行先あたしが決めてもいい? どうしても行きたいところがあるんだけど』

予感がした。きっと最後の旅行になるだろう。だったら忘れられないくらい、特別な場所に行きたいと思った。

そんな恋の終わりなら、あなたあたしを忘れないでしょう?

五年も付き合っているのに、あなたの記憶にあたしが残るかなんて……そんな事すら不安になるなんて。

 

 

ヴァドゥはダイバーが多い為か、昼間のビーチは閑散としていてプライベートビーチのようだ。

淳は穏やかな波打ち際に、白いプラスティックのサマーベットをセッティングした。シーツはさらさらと優しく流れる青い海。時々魚があたし達の体をかすめて通り過ぎていく。

「気持ちいい。素敵なベットね」

淳はどんな場所にいても、より楽しく過ごす方法を考えるのが上手い。そんな彼にとってこの小さな南の島は、最高に遊び甲斐のある知恵の輪なのだろう。

南国らしい魚の絵が印刷されたトランプも小さな売店から見つけ出してきた。カード一枚一枚にリアルな魚が一匹づつ名前入りで描かれていて、図鑑の代わりにもなるのだ。

カードを並べると先程シュノーケルで目にした魚が、ホワイトサンドの上で戯れているようだった。飽きもせず淳と木陰で何度もカードで遊ぶ。

時間を全く気にせずにこんな風に過ごす昼下がり。時間の進み方さえ、ここでは特別な気がした。

太陽が昇りそして沈んでいく。その光の移る様だけが時を知らせるのだ。

ガサッ。

木の影からひょこりと、男の子が姿を現した。金髪の髪がクルクルと可愛らしい、二、三歳くらいの男の子。顔だけ見ると本当に絵画に描かれた天使のようで、女の子に間違えてしまいそうな顔立ち。だけどその子は見事なまでの裸んぼで、性別は一目瞭然だったのだ。

「きゃ~この子めちゃくちゃ可愛いねぇ」

「コイツ見てると、この島じゃ裸が一番自然なスタイルだって思えるな」

男の子は物怖じする様子もなく、しゃがみこむとカードをじっと眺めている。

「ヨーロッパ系だね。多分」

「こんな小っちぇ子供が一人でお散歩か? ま、迷子になりようもないけどさ、親どこだろう?」

二人で周りを見渡したけれど、ポツポツといる人影はどれもハネムーナのようだった。皆、お互いだけが存在するかのように熱い視線を絡め合い、他に気に留めるものなど何もないといった様子だ。

「親らしいのいないな。こんな小さな島だし、そのうち迎えに来るか」

淳は暢気にそう言いながら、カードを不思議そうにひっくり返して遊んでいるその子を面白そうに眺めている。

「あっあっ!」

青い魚のカードに目を留めるとその子は、嬉しそうにはしゃぎだした。たどたどしい口調の上に不明な言語、だけど指を差しながら瞳を輝かせるその様子が微笑ましい。

浅瀬のハウスリーフでよく見かけるこの青い魚、ブルーサジョンフィッシュを自分も見たのだと伝えたいのだろう。

その子はそのカードを握り締めると、クルリと向きを変えて走り出した。呆気にとられてその可愛いお尻を見送る。すると、その子はすぐ隣のバンガローの前で寝転んでいる、ビーチで一番熱々のカップルの元に歩み寄った。

「邪魔しちゃダメだよ~戻っておいで」

と、判るはずもないのに日本語で声を掛ける。だけど、ムクリと起き上がった隣の彼氏を見て気付いてしまった。遺伝子の繋がりを感じさせる、クルクルの金髪の巻き毛と垂れ目の大きな青い瞳。あれがパパだ。

同じ顔を並べて親子は仲良く手を繋いでこちらに向かってくる。そして「メルシー」と人懐こい笑顔を添えてカードを差し出してきた。ママの方もきわどいビキニ姿で、頬杖を付いてひらひらと手を振ってくる。

メルシー……フランス語? 慌ててやっと思い浮かんだ言葉を返す。

「ボンジュー」

だけど咄嗟に他のフランス語なんて頭に浮かんでこない。向こうも日本語なんて知らないのだろう。ただ、あたしの嘘っぽいフランス語の挨拶に笑みを深めてくれた。

後姿を見送りながらあたしは淳に小さな声で言った。

「隣のカップル、子持ちにはみえないラブラブぶりだったよね。絶対ハネムーナーだと思ってた」

「あんな小さな子供連れて、こんな南の島とか来ちゃうもんなんだな」

だけど、更にあたし達を驚かせる光景が隣では繰り広げられたのだ。おもむろにママが木陰に置いてあったバスケットから、小さな赤ちゃんを取り出したのだ。ママに頬擦りされて、ベビーはご機嫌そうだった。きゃっきゃと笑う声さえ聞こえてくる。

何だか衝撃的だった。あんな小さい子供がいたら、海外旅行なんて当分お預けってそんな先入観があったから。南の島なんて陽射しがきつくて子供には向いてなんだろうな、なんて偏見があったから。子供が出来たらあれもこれも無理になっちゃう……そう思い込んでいた。

だけど、木陰で戯れる隣の家族のなんと自然な事か。子供がいても愛し合って当たり前にキスを交わす、それは何て素敵な事か。

「そろそろランチに行こうか?」

淳が立ち上がったので、頷いてあたしも腰を上げようとした時だった。目の前に彼の手が差し出されていた。だからそっと指を乗せてみる。

あ、久しぶりだなこの感触。

旅行前まで淳の仕事が再び忙しくて、週末すら会えない日が続いていた。それに、別れを意識してからは淳に甘える事もあまりしなかった。一緒に日本を発ってからここに到着するまでも、あたしが踏み出さない分の隙間を感じていた。だから、淳から差し出された手は意外なものだった。

けれど、これをきっかけに、この島で過ごすあたし達の距離は縮まった気がする。肩に髪に頬に、流れるようにそっと触れられる心地よさ。

それはとても自然な物腰だったので、あたしは“どうしたの?”なんて無粋な言葉は口にしなかった。きっとこの島でより快適に過ごす二人の距離を、周りの雰囲気から彼は学んだだけなのだ。

だって、ほら、冷めた気持ちを抱えていたって、この楽園の風の中で寄り添うのってこんなにも心を満たしてくれる。まるで恋に溺れているような、そんな錯覚さえしてしまう。

どこか投げやりで、期待しないという諦めは、彼の心境の変化を探ろうなんて気持ちも摘み取ってしまっていた。だから何も考えずに淳にもたれかかってみた。

長い付き合いだ。この島にいる間だけの気紛れだなんてわかっているのだ。

だったら、
もっと優しくして。
忘れられない最後の想い出の雨を、沢山あたしに降らせてよ。

アイランドホッピングで島々を渡り、ハウスリーフを探検する体験ダイビングにも参加した。何もかもが夢のように素晴らしく、モルディブが教えてくれる素朴という贅沢にあたしたちは夢中になっていった。

「海の向こうに小さく見えるあの島、首都のマーレらしいぜ」

「空港からヴァドゥに来る時、船から見えたモスクのある島でしょう?」

「さっき、ダイビングスタッフの人がさ、用事があって明日マーレまでドーニを出すから、観光したかったら乗せてくれるって言ってた」

「でも二人で観光して迷子にならないかしら?」

「知り合いのガイドをつけてくれるって」

現地の人の住む街の賑やかさを覗いてみたい気もしたので、行ってみる事にした。明日、お昼を食べてのんびりしてからの出発だという事だった。

 

続く
プロポーズ 指輪 猫目石 ヴァドゥ モルディブ 小説 2/2

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