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魅惑の擬似バカンスをご堪能下さい

贅沢な缶詰

投稿日:

青い空、綺麗な海、白い砂浜、海を眺めながら寛ぐ贅沢なジャグジー付きのコテージ。

最高に演出された女の子の憧れのハネムーン。

文句なんてつけどころがないくらい完璧。

 

贅沢な缶詰 (イフル)  

*イフルがアンサナへ改装前のイメージで*

 

二日前、妻になった目の前の彼女は、退屈そうにサマーベッドにもたれて英字のペーパーブックを読んでいる。

眩し過ぎる陽ざしの中で、彼女の肌はシミひとつない。

ただほんの幾つかのホクロが、肌の白さを引き立たせる為に存在するだけ。

モルディブ。

ずいぶんと昔、何かの雑誌で目にした事があった。

でも、何もない秘境のイメージだったそれと、ここはあまりにも違っている。

よく出来ていると言ったらいいのか。

生い茂った緑と、それに続く美しい海の上で、融合するように計算された水上コテージ。

それは素晴らしくゴージャスで、だけどナチュラルにさえ見える。

目の前の彼女との結婚は、あまりにも急な話だった。

仕事のスケジュールの調整と結婚式の準備に追われ、ハネムーンの事まで考える余裕がなかった。

だから、サロンの受付を任せている志保に何か探して、とにかく予約をしてくれと頼んだのだ。

『普通こういうのって、二人で話し合って決めるものですけどねぇ』

そう言いながらも、面白そうだと思っているのだろう。

本当の嫌味を口にする時の、志保独特の鋭い刺は感じられなかった。

そして志保が抜粋した幾つかのプランの中からモルディブという単語を見つけた時、昔、目にした雑誌のイメージが蘇って『コレ』とそのパンフレットを指差していた。

『カフェの注文じゃないんだから』

志保は苦笑いをした。

『余分な仕事を頼んじゃったから、お礼をしないとだな』

冗談半分で言った。

『じゃあ、コウさんの残り少ない独身の夜を一晩』

志保は誘うような上目遣いで、微笑んでみせた。

怪我で三ヶ月休みをとっているスタッフの代用の臨時雇用。志保との契約は今月いっぱいだ。

春には結婚の予定があるから、期間的にも程よいと面接でにこやかに彼女は微笑んでいた。

自分の価値に自信がある、美人特有の笑顔がサロンの受付には相応しいと志保を選んだ。

彼女の薬指にあるエンゲージリングを一瞥し、その瞳をのぞき込む。

『彼から貰った婚約指輪をはめたまま?』

『ふふっ、何を今更、手切れ金代わりですよコウさん』

志保とのこんなさばけた関係が気に入っていた。

だが、そろそろ潮時だ。身辺は綺麗にしないと。

独身最後のアバンチュールを俺は堪能した。

 

 

その夜の志保と、目の前にいる妻のプロポーションを無意識に比べている自分に気付く。

……悪趣味だな、俺も。

ただ、隣で艶やかなパレオに身を包んで本を読む妻に関しては想像の世界だが。

彼女とは二人きりで話をした事さえ、数える程の関係なのだ。

完璧にバランスの取れたシルエットがパレオの柔らかな布越しに見て取れて、改めて驚かずにいられない。

どうして、俺なんかと……。

国内外に30店以上のヘアサロンを経営し、ヘアケア用品については世界にも名の知れたブランドを持つ"Salon de KUSUMOTO"

そのオーナー社長の愛娘。

母親はオートクチュールコレクションのオープニングでランウェイを歩いた経歴を持つモデル。

 

二年前独立してやっと自由が丘で美容院を構えただけの自分に、何故こんな縁談が舞い降りたのか今更ながらに不思議に思う。

確かにKUSUMOTOにいたあの頃はトップスタイリストとして十年サロンを盛り上げてきたという自負はある。

賞をとったり、ファッションショーでのヘアメイクメンバーに抜擢されたり。

カリスマ美容師などと、もてはやされもした。

東京で一旗揚げてやる。そんな野心を抱えがむしゃらに頑張ってきた。

だが鹿児島から美容師目指して上京してきた俺と、生まれも育ちも青山だなんてお嬢様とは住む世界が違う。

違和感を感じずにはいられない。

しかし楠本オーナー自ら申し入れがあったのだ。末娘を嫁にして欲しいと。

最初はとんでもないと丁重に断わった。

だが、オーナーが再び訪ねて来て、こんな俺に深々と頭を下げた。

俺ってそんなに彼に目をかけてもらえていたのか? 今までそんな素振りなど見たこともなかったが。

愛がなければ結婚出来ないなんて主義でもない。

楠本氏と親戚になるメリットを考えれば、これ以上断わる理由もなかった。

 

 

結婚式は親しい人間だけで、大袈裟にはしなかった。

招待された面子を見れば、彼が末娘を特に愛しんでいるのが見て取れる。

映画監督、指揮者、落語家。

どれも仕事絡みの人脈ではなく、楠本氏の大事な友人だと伺わせる。

招待客の皆が、目を細めて彼女の結婚を心から祝っている様子だった。

先日アカデミー賞にノミネートされ話題をさらっていた気難しいイメージの映画監督が鼻の頭を赤くし、涙さえ浮かべこんな事をつぶやいた。

『良かったな、まさか百合が本当に結婚するとは思わなかった』

……ちょっと気になる台詞だ。『まさか』ってどういう意味なのだろう?

隣に佇む花嫁は、文句の付け所がない程に若く美しく健康そうだ。

『まさか』ってどういう意味なのだろう?

疑問が頭をかすめたが、その日の俺には深く考える余裕などなかった。

 

 

少し島の様子でも見ようかと百合を誘うと、彼女は頷いて腰を上げた。

その仕草に少し気怠さを感じ、疲れているのかなと思わされた。

いや……やはり、北欧とかの方が良かったのだろうか?

温室育ちのお嬢様には、こんな海があるだけの南の島はお気に召さなかったのかもしれない

長い桟橋を渡りその先に足を進めると、フロントのある建物の前で女の子がうずくまっているのが目に入った。

日本人っぽい。陽ざしにでもやられたのだろうか。「大丈夫?」と声をかける。

少しの沈黙の後、その彼女は顔を上げた。

目が泣き腫らしたように真っ赤だった。

見覚えがある。昨夜、空港からホテルに来る船の中で一緒になったハネムーナーだ。

彼女は「予約したタイプの部屋が取れましたか?」と思い詰めた声で尋ねてきた。

ああ、と僕が水上コテージの中でも離れのように奥間って海に浮かぶ、島一番のスイートコテージを指差すと、その子は少し驚いた顔をして涙をポロポロと溢した。

「どうしたの、何かトラブル?」

今まで黙って様子を見ていた百合が、そう問い掛ける。

その彼女が言うには、水上コテージがオーバーブッキングでビーチビラになってしまったらしい。

「ハネムーンだからって高かったけど、思い切って憧れの水上コテージに半年も前から予約を入れてたんです」

半年前から?

志保がわずか二週間前にここを押さえられたのは、何か裏技を使ったのだろうか。

それとも他のコテージの数倍という金額のせいだろうか。

水上コテージの中でもひときわ特別に作られた、贅沢な建物に視線を泳がせる。

「とにかくショックで……彼が今、交渉に行ってるんですけど、英語もそんな上手くないから……」

よほど不安なのだろう。語尾がどんどん小さくなって聞き取れない程だ。

「あたしちょっと彼女と行って、ホテルの人と話をしてくるわ」

百合はそう言うと、その子の肩に手を添えた。

「コウさんは、先にバーでビールでも飲んでいてね」

優しい所あるんだ……なんて思いながらも、日本人がゾロゾロと連なってクレームを付けている姿も頂けないと思い、この後は百合に任せ俺はバーへと向かった。

 

海に突き出したように作られたビーチバー。

昼間から潮風を受けながら飲むビールは、砂に水をまくように体に染み込んでいく。

あぁ、旨いな。こんな旨いビールは久しぶりだ。

さっき泣きべそをかいていた子の、青い顔がふと浮かんだ。

可哀想に、あの子……。だけど、ここに来るのが、そこまで楽しみにしていたという彼女が、羨ましいと感じていた。

仕事にばかり囚われていて心が錆びつき、無感動な人間になった気がする。

昔、目にした雑誌の一頁と変わらない海。

目の前に広がる何処までも蒼い空。

美しいなと思う。綺麗だなと思う。

だけど今、喉を潤したビールほどの感動さえわいてこない。

昔はこんな自分ではなかったと思う。

高校卒業から上京するまでの合間に、タイで日本語教師をしている姉を訪ねたことがあった。

姉のいるバンコクからあても無くザックを背負い、数日ふらりと出かけた気ままな一人旅。

時には野宿なんかしながらのんびりと見上げた空。

胸を打つその色を俺は忘れてしまった。

きっとモルディブの空と変わらない美しさだったのかもしれない。

だけど、再びその鮮やかな風景を目の前にして、今の俺は心が震えない。

悲しかった。わずか十数年の間に何処に何を置き去りにしてきたのだろう。

「……さん」

何度か呼ばれていたようだ。はっとして顔を上げると、百合が覗き込んでいた。

「じゃ、行きましょうか」

「えっ、何処に?」

「ボートで少し行った所に、素敵な島があるらしいわ。今、フロントで教えてもらったの」

さっき、つまらなそうに本を読んでいた彼女とは別人のような、生き生きした表情。

「桟橋に、ドーニを用意してもらったから行きましょう」

まだこの島すら歩いてもいないのに? その言葉を喉元で飲み込んだ。何かを楽しみ始めた彼女に水を差したくはなかった。

自分が座っているバーから桟橋は見て取れて、ドーニと呼ばれる質素な船に何やら色々な物が運び込まれている様子が伺えた。

「わかった。じゃ、行こうか」

本当は少し面倒臭かった。昨夜遅くにこの島に到着し、疲れ切って眠り、さっき朝飯を食べたばかりなのだ。

他の島を巡るのも悪くはないが、なにも今日じゃなくても良さそうだ。

だけど、その思いを隠し百合には微笑んでみせる。

「楽しみだね。どんな島かな?」

乗り込んだドーニが桟橋を離れた時、ビーチの方から誰かが走って来るのが見えた。

さっき泣いていた子だ。彼と一緒に何かを叫びながら、ブンブンと手を振っている。

遠目にもさっきとは違い、何かを喜んでいるのが見て取れた。

船が進むにつれ、どんどん小さくなっていくハネムーナー達。

また後で会えるのだから、そんなサヨナラみたいに大げさに手を振り続けられると、気恥ずかしくなってしまう。

「さすが、君の交渉は成功したみたいだね」

「ええ、すごくいい方向でね」

満室だとい客室をどのように空けさせたのか?

百合は青山で小さなギャラリーを運営している。

美大を出て絵が好きだという趣味も兼ねているのだろう。

お嬢様らしい職業。

自分の足で発掘した若き芸術家達を、彼女は売り出していた。

さすが父親の血は引いてはいるのだろう、駆け引きや商才に長けているようだ。

三十分くらい乗っただろうか、ドーニは着いた。

先程まで自分がいた島とは随分と雰囲気が違う。この桟橋ひとつとってみても、随分と簡素な趣だ。

それに妙に静かだ。ビーチに人影すらない。

リゾートらしい建物はあるので、無人島という訳ではないようだ。

「気に入った? 少し島を散歩しましょう。小さな島らしいわ」

脱いだサンダルをブラブラと持ちながら、俺の前を彼女は裸足で歩き始めた。

それは本当に小さな島だった。

フロントらしい建物も、レストランもバーも、まるでビーチの続きのようにさらさらのホワイトサンドが敷き詰められている。

装飾は簡素だが、絵葉書のような南の島らしい雰囲気。

水上コテージがないせいか、取り囲む海も広々と伸びていた。

だが施設の全てが、だいぶ使い込まれた年季を感じさせる。

ドアノブは少し錆び付いていたし、バーのカウンターは磨き上げられてはいたが端の塗装は剥げている

不思議な事にゲストにもスタッフにも誰にも会わない。

狐につままれた気分のまま、あっという間に島を一周していた。

さっき船を着けた質素な桟橋。

だけどそこに居るはずのドーニの姿が見えなかった。

そして代わりに、信じられない物がポツンと置いてある。

見覚えのあるトランクがふたつ。あと、見覚えのない白い発泡スチロールの箱がふたつ。

「えっ、これって」

クエスチョンマークがグルグルと脳内を駆け巡るだけで答えが見つからない。

「この島ね、三日前にリニューアルの為にクローズしたらしいわ。改装が始まるまでのあと一週間、誰も居ない無人島になっちゃうって訳」

ああ、だから手品のように誰もいないのか。

……いや、そんな事を納得している場合じゃない。

何故、俺たちのトランクがここにあるのかと聞きたいのだ。

「あたし達、夫婦になったのにお互い何も知らないままだから、スタッフもいないこの島で、ゆっくり見つめ合うっていうのも悪くないでしょう?」

「だって食料は?」

その台詞に、百合の視線が桟橋の発泡スチロールの箱を指した。

「コックは?」

呆れたような溜息と共に、百合は腕組みをして俺を睨みつけた。

「二人きりだって言ってるでしょう? 三日前まで動いていたリゾートだから何でもあるわよ」

あの俺達のコテージは? と心に浮かんだが、その言葉を飲み込んだ。

結末が見えたから。

だけど、それを見透かしたように、百合はこう言ってくれたのだ。

「あのハネムーナー、結婚式が同じ日だったの。偶然よね。だからお祝いに、あの夢の水上コテージをプレゼントしたって訳」

出発前にホテル代は支払済みなのだ。

式の費用はあちらが持つと譲らなかったので、ハネムーン費用くらいはこちらで出しますとなった。

いくら俺が稼げるようになって少しは余裕ができたとはいえ、ゼロの桁多くないか? と思うような値段。

あの二人にプレゼント……。こんな、コックもいない、バーテンもいない島と引き換えに?

「あら、勝手な事してあたし嫌われちゃったかしら。でも、元々好かれてもいないし、そういう結婚でしょ?」

百合は俺と結婚したくなかったのだろうか。

親が勝手に決めた結婚だから、こんな嫌がらせをしているという事なのか。

「誰にも邪魔されずに、お互いをじっくり知り合いましょうよ」

嫌味とも何とも図りかねる彼女の台詞を、ただ呆然と聞いていた。

 

 

色々な事がありすぎて、疲れ果てていた。

少し横になるつもりが、目を覚ますと辺り一面暗闇に変わっている。

今、何時だろう? ベッドサイドにあったであろうライトを手探りで探し、スイッチを押す。

白い壁に囲まれた質素な室内がぼんやりと視界に入ってきた。

あの水上コテージが五つ星なら、この部屋は二つ星と言ったところか。

少しガタのきたバスルームの扉を開ける。

まだ重いこの体を熱い湯に浸かって癒したかった。

だけどそこにあったのは……トイレだった。しかも半野外のような作りだ。

あれ? 間違えたと、そのまま扉を閉めた。

だが、どう見てもこのベッドルームには、玄関以外にはそのトイレへの扉しか見当たらない。

嫌な予感がして俺は、馬鹿みたいに再びその扉を開けた。

トイレというには少し余裕がある空間の中を探すと、壁に固定されたシャワーがぶら下がっているのが目に入った。

かなり落胆した気持ちを取り直して服を脱ぐ。

蛇口を捻るとチョロチョロと勢いのない、お湯とは言えない温度の水が出てきた。

水上コテージにあたりまえのように付いていた円形のジャグジーが目に浮かび、俺は舌打ちをする。

何故、こんな事に……。

南国といえども、日が沈むと涼しいくらいだ。

快適とは程遠い時間をなるべく早く切り上げて服を着替えると、逃げ出すようににコテージの外へ出た。

外灯は全て消されていて暗く、足元さえ見えない。

百メートルくらい先だろうか? ぼんやりと明かりが見える。

確かあれはレストランがある場所だ。

その明かりを目標に、闇の中を泳ぐように進む。ほんの数歩歩いた所で裸足の足に何かが絡んだ。

「わっ!」

思いっきり転んで、顔が砂まみれになっていた。

ジャリッと口の中に嫌な違和感。

しかも、足の親指が切れているのがヌルッという血の感覚でわかった。

放心したように、その場から立てなかった。

この俺が転ぶなんて。

しかも、さっき我慢して冷たいシャワーを浴びたばかりだというのに、髪の中まで砂で汚れてしまった。

イライラした。仕事柄、お客様に合わせ、感情を見せないよう会話をする日常だ。

だから、こういう気持ちをコントロールするのは得意なはずなのだ。

あの明かりの下には百合が居るに違いない。

そう気を取り直して深呼吸をすると、俺は何事もなかったかのように、少し目に慣れた闇の中を再び歩き始めた。

転んだなんて、みっともなくて絶対に悟られたくない。

レストランから明かりが漏れている場所まで来て、傷口を確認する。

少し出血してはいるが、たいした事はないようだ。そのことに少し安堵して、レストランの扉を開く。

すっかり腹も減ってしまった。百合は椅子に座ったまま、何かを作っているようだ。

後ろから忍び寄り、ご飯は何かなとテーブルの上を覗いて見て……俺は驚愕した。

百合が一心に作業していた事、それは缶詰を開ける作業だったのだ。

三つほど開いたツナ缶やら何やらが並べられていて、百合は新たな缶詰に取り掛かろうとしている。

一週間この島にいる間ずっと、この缶詰の山を食えというのか?

「あら、目が覚めた?」

俺は百合の顔を見ずに缶詰を見ながら呟いた。

「これって……」

「あ、ゴメンね。まだ御飯作るの途中なの。あたしもさっきまでうとうとしちゃって」

ご飯を作る? この女はこれが料理だと思っているのだろうか。

限界だった。怒りで体が震えているような錯覚がする。いや、実際震えているのかもしれない。

そのくらい、俺は頭にきてしまった。

「……いい加減にしろよ」

その震えを押さえ込むかのように、いつの間にか俺の手は握り拳になっていた。

「アンタのお陰で散々だよっ」

百合に対する言葉遣いに、自分でも驚いた。

だけどもう止められない。ドクドクと体中を、興奮した血が駆け巡るのがわかる。

「俺と結婚したくなかったなら、しなければ良かっただろ? こんな嫌がらせをしてアンタ楽しいの?」

睨みつけるつもりで百合に視線を移す。彼女は、俺の視線を躊躇せずに受け止め、そして挑発するように見返してきた。

「やっといい子ちゃんを止めたの? いいじゃない。そうでなくっちゃね」

見透かすように直視してくるその視線に耐えられず、俺は目を反らした。

この女は何を言っているのだろう。さっきまでの印象とは全然違うではないか。

コイツはただの箱入り娘とは違うのだろうか。それとも箱入り娘って、こんな訳の分からない生き物なのだろうか。

「あたしね、うわべだけ取り繕っているのって退屈なのよ」

今までの俺を否定されたような言い草に、かっと血の気が上がった。だけど言い返す言葉が見つからない。

こういう女は口が達者なのだ。

とにかくもう話すことなんて何もない。

殴り倒してしまいたい衝動を必死に堪えて、俺は踵を返して、再び暗闇の中に戻っていった。

最悪だ。あの時映画監督が言っていた言葉……。

『良かったな、まさか百合が結婚するとは思わなかった』

こういう事なのか。

金持ちで美人で健康だが、この女はそれでも補いきれないくらい性格が悪いのだ。

とんだ貧乏くじだ。

歩いているうちに、戻ろうと思っていたコテージがどれだかわらなくなっていた。

どれでもいいや、と適当に選んで、鍵のかかっていないドアを乱暴に開ける。

俺はさっきと変わり映えのない部屋で、この悪夢から逃れるようにベッドに転がり込んだ。

足の傷口に砂が入り込んで、ズキズキと痛んだ。

その痛みがこの状況を現実なのだとサインしているようで、俺はひたすら目を閉じると、逃避するように眠ってしまった。

 

 

物音がしたような気がして、また暗闇の中で目が覚めた。

さっきの出来事は夢だったのだろうか? デジャブのように同じ動作で、ベッドサイドのランプをつける。

いい匂いがした。空腹感を刺激するような。

ベッドの隣にある質素なテーブルに、サンドイッチとスープが置かれている。

スープはまだ温もりがあった。足に違和感を感じ覗き見ると、親指にバンドエイドが貼られ手当てがしてあった。

頭が真っ白のまま、とにかく我慢出来ずにサンドイッチを頬張る。具は見覚えが……。

開けてあった缶詰のソーセージやツナ。味付けが工夫してあってトマトなんかも挟んであって、お世辞じゃなく美味かった。

スープも……。

ガツガツと2.3個食べたところで、少し落ち着いて頭が回ってきた。

怪我をしているのが何故わかったのだろう? 少し足を引きずっているのに気付いたのだろうか。

さっきの彼女とのやり取りが頭に浮かんだ。

情けなかった、自分自身が。

転んだ事まで彼女のせいにして、腹を立てて自制が効かなかった。

シャワーが冷たい。服が汚れた。缶詰が気に入らない。

俺はいつからこんなちっぽけな人間になっちまったんだろう?

 

 

 

朝が近づくと太陽の光で、暗闇にじわじわと色彩が浮かび始める。

小さなコテージのテラスにあるベンチ式のブランコに座り、この島が朝に彩られていく様子をぼんやりと眺めていた。

夜は闇に紛れ、波の音だけで存在を主張していた海も、その色彩を取り戻し始めている。

それはまだ白んでいる空の色を、鏡に映しているかのようだった。

百合はどのコテージで眠っているのだろう。

やはり気になってどこかに彼女の痕跡がないか探し初めていた。

レストランから程近いコテージの前に、百合のサンダルが無造作に放り投げられているのを見つけた。

カーテンは閉められていて様子はわからないが、まだ明け方だ。眠っているのだろう。

そのままレストランに行ってみる。

ガランとした無人の客席。

ほんの数日前までここは、人で溢れていたのだろうか。

それとも時代に取り残された、人影まばらなリゾートだったのだろうか。

足元に落ちている、ロゴが印刷されたコースターを拾いあげる。

【Ihuru】この島の名前だろうか、イフル?

 

卵なんて割るのは久しぶりだ。

だだっ広い厨房のガスコンロは勝手が違って少し苦戦した。

二人しかいないのだから、俺が朝飯を作ったって、別におかしい事なんかじゃない。

昨夜の失態が後ろめたくて、何かしなくては落ち着かなかった。

もしかしたら百合とは、このまま別れる事になるかもしれない。

そんな事も頭をよぎった。

だけど別れるっていったって、式の儀式以外まともにキスもしていない。

それなのに夫婦だなんて……元々俺達は不自然すぎるのだ。

「おはよう」

少し眠そうな仕草で、百合がレストランに入ってきた。

素顔の彼女。

いつもよりさらに若く見えた。

改めて彼女の素の美しさに驚かずにはいられない。

素肌にスリップドレスを羽織っただけの8つ年下の百合に、俺は少し見惚れてしまった。

「なあに? 何か付いている?」

「いや、おはよう」

「わあ、美味しそう」

トーストとあり合わせのサラダとオムレツ。それにオレンジジュース。

こんな朝食を、彼女は素直に喜んでくれた。

昨夜はゴメン。

その言葉を何度も何度も口にしようとしたが、タイミングを逃してしまい言葉に詰まった。

そんな風に躊躇していると、百合の方から切り出された。

「足、どう、痛む?」

「いや、もう平気」

「そう、よかった」

俺ってかっこ悪すぎる。どうして彼女相手だと、こんなに上手く話が出来ないのだろう。

日本にいる時は、あんな歯の浮くような台詞で、女を口説く事が出来るのに。

『うわべだけ取り繕っているのは退屈なのよ』

昨夜、彼女が口にした台詞。

百合には俺の口説き文句なんて、鼻であしらわれそうだ。

それが怖くて言葉が出ないのか? だったら素直に昨夜の事を、せめて謝ればいい。

でも、それさえも出来なかった。

ただ向かい合って俺たちは、黙々と朝食を済ませた。

「そうだ、頼みたいことがあるの」

「何?」

「ヤシの木陰でお願いしようかな」

彼女はそう言うと、微笑んで立ち上がった。

意味がわからないまま、でも彼女が笑顔を見せてくれた事に救われた。

このまま『さようなら』と言われる可能性だってさっきまであったのだ。

彼女の頼みとやらを卒なくこなし、少しは自分がマシな男だというところをアピールしたかった。

海に突き出したヤシの木の隣で、百合が俺に差し出したもの……それは、普通のハサミだった。

彼女の行動は全く予測がつかない。これで何を切れというのだろう。

百合はパレオを砂の上に敷いて、その上にちょこんと座った。

「じゃ、バッサリといっちゃって」

そう言うと、ピン1本で結っていた髪を解き放った。

背中まである柔らかで豊かな黒髪。

男が目を奪われずにはいれない、絹糸のような光沢と女らしいウェーブ。

バッサリ?

……いけない。思考回路が止まっていた。

だけど回転しだすとこの状況の異常さが浮き彫りになってきて、俺は変な汗をかいた。

まさかな? 髪は女の命って言うもんな。

「思いっきりショートにしちゃって」

「嘘だろ?」

「ほら、早く!」

こんな綺麗な髪をバッサリ切る? しかもこんなハサミ(シザー)で?

「貸して」

まったく先に進まない俺の手から、百合はハサミをもぎ取ると、背中まである髪を一束掴んだ。

そしてなんの迷いもなく首の辺りでパサリと切り落とした。

パレオの上に落ちた髪が、優雅な曲線を描いて力なく横たわる。

「こんな感じで、ね」

この状態で終わりに出来るはずもなく、俺はこの作業を引き継いだ。

何だか悲しかった。彼女はもしかしたら少し狂っているのかもしれない。

まともな精神状態でこんな事が出来る女がいるのだろうか?

俺は集中して作業をした。

いくらカリスマ美容師の看板を背負ってた俺だって、カットシザー(散髪ハサミ)じゃない道具でスタイルを作るなど至難の技だ。

せめてお手本にと、古いフランス映画で、一番お気に入りのショートカットの女優を思い浮かべてみる。

"勝手にしやがれ"のジーン・セバーグ。

白黒の写真だけで21世紀の男をいまだに堕とせる銀幕のヒロイン

首に付いてしまった髪の残骸を、綺麗に払ってあげる。

「終わったよ」と声を掛けると、百合は立ち上がった。

さっきと同じ服を着ているのに、まるで別人のようだ。うなじや鎖骨がさっきよりも華奢に美しく映えている。

我ながら上出来じゃないか。

思わず自分の傑作に、手を伸ばしてゆっくりと触れてみる。

短くなった髪は綿帽子のようで、柔らかい子猫を連想させる。

百合は俺の指の感触を楽しむかのように、目を閉じてされるがままになっている。

初めてこんな風に彼女に触れた。

俺は馬鹿みたいだ。ドキドキしているなんて。

その胸の響きが懐かしくて新鮮で心地良くて、そんな切なさにずっと浸かっていたいと思った。

だけど、彼女はゆっくりと瞳を開くと、俺を突き飛ばした。

なんて乱暴な女だ。嫌なら止めてくれと口で言えばいいのに。

俺はそのあまりな不意打ちによろけて、尻餅をついてしまった。

その足元で見下すように俺を睨みつける百合は、高慢なシャムネコのようだ。

獲物にとどめを刺しにゆっくりと、倒した体をまたいで喉元に近づいてきた。

陽ざしを遮って俺を覗き込む瞳。

あぁ、俺の目の前にジーン・セバーグがいる。

スクリーンの女優と同じ、セクシーでキュートな笑顔を作ると、百合は映画のワンシーンのようなキスを演じてみせた。

そして、何事もなかったかのように、俺の横にごろりと横になると空を見上げる。

「誰もいなくて、静かで、あたし達だけの空みたいね」

そう言って彼女は、海との境界が曖昧な、どこまでも続く空を愛しそうに指差した。

 

もう何もかもが彼女のペースで、とにかく俺はもみくちゃだ。

女らしい髪。

あれを切り落としてしまったら、百合の魅力は少し落ちるだろうと思っていた。

だけど、首元から潔く髪を切り落とした彼女は、まるで羽化したした蝶のようだ。

その変貌に思いっきりカウンターパンチを食らった。

あのキスを境に、不感症に犯されていた俺の心が裸に剥かれたよう過敏に反応を始める。

 

珊瑚が透けて見えるあおいゼリー色の海。

太陽をぶら下げ様々なブルーを織り混ぜた空。

白い砂浜に群れるヤシの木のジャングル。

何の違和感もなく、島の情景に溶け込んだ質素なコテージ。

……そして、彼女の睫毛が落とす黒い影。

 

この島と彼女の美しさに、俺の心は堕ちてしまった。

昨日まで舌打ちをしたいくらい、俺にとって価値がなかったもの。

だけど、それは一瞬の魔法で甘美な火照りに変わった。

何かに感染したように熱を帯びていく。

あの、ぬるいシャワーを今浴びたら、気持ちが良くて溜息が出る事だろう。

あの映画監督の言葉。

『まさか百合が本当に結婚するとは思わなかった』

彼女は奔放で気まぐれで魅力的で、一人の男に納まるタイプなんかではないのだ。

少し頭がおかしいのかと思う程の危うい事も笑ってやってのけ、しかも甘い毒さえ隠し持っている。

確かにこんな女、見た事もない。結婚など向いている訳がない。

俺は幸運なのだろうか? 不幸なのだろうか?

もっと彼女の毒に侵されてしまったら、中毒患者のように求めてしまうかもしれない。

ジャンキーのように彼女に分け与えてくれと懇願するような、情けない男に成り下がっちまうかもしれない。

『病める時も健やかなる時も、死が二人を別つまで変わらず愛し敬うことを誓いますか?』

三日前の結婚式のありきたりな台詞。彼女はすらりと誓いを立てた。

今更にあの台詞が、途方に暮れる俺の心に道しるべのような安堵感を与えてくれる。

彼女は他の誰の物でもなく、俺だけの妻なのだと。

 

 

椰子の葉が作る隙間だらけの日影で、短くなった髪を白い砂に散らし、横になってくつろぐ百合がいた。

あのゴージャスなスイートコテージで不機嫌そうに本を読んでいた女と同一人物とは思えない。

彼女はこのイフルにすっかり溶け込み、美しい島さえも、自分を更に引き立たせる舞台のように扱う事が出来る。

恐る恐る壊れ物を扱うように、彼女の髪に再び触れてみる。

あの胸の切なさが再び込み上げてきた。

だけど、俺はもう我慢なんて出来そうにもない。

改めて彼女が自分の妻なのだと意識すると、何もかもを手に入れる権利があるような気がして、彼女を自分の物にしたい衝動が、押さえきれない程溢れてくる。

「ね、海亀の話をしてよ」

俺の視線をはぐらかすように、百合がまた突拍子ない事を言っている。

「ウミガメ?」

「間違ってバイクのライトに……ってやつ」

「え? その話」

「いいから、ねっ」

百合が俺の腕にその指を絡めてくる。恋人が甘えているような仕草。

どうしてこの話を彼女が知っているのだろう?

疑問が残ったが、そこまでおねだりされている事に気を良くして、俺は話し始めた。

「高校生の時、フェリーで屋久島に渡りバイクでキャンプして回った事があるんだ。その時は海岸にテントを張っていた。ランタンの調子が悪くなって明かりが消えてしまったので、バイクのライトをつけて修理していたら、暗い海の方からガサゴソと、ものすごい数の小さな影が近づいてくる。ビックリして、一体何かと目を凝らすと、それは生まれたばかりの海亀の赤ちゃんだった」

百合は、笑いを堪えた表情で耳を傾けている。俺は話を続けた。

「本当は生まれると、月明かりを頼りに海に向かうはずなのに、ライトの眩しさを勘違いしてしまったらしい。小さくて小さくて、そっと手のひらに乗せないと潰しちゃいそうで怖かった」

それから……どうしたんだっけ。うろ覚えの昔話に言葉がと切れる。

「ライトを消して……でしょ」

百合が助け舟を出してきた。そうだ、ライトだ。

「俺は慌ててバイクのライトを消して、一晩中走り回ってウミガメの赤ちゃんを海に返したんだ。もうキャンプなんて十年以上行ってないけどね」

百合は満足そうに俺の腕にオデコを当てて、クスクスと笑っている。

キツネにつままれたような気持ちで彼女を眺める。

「ね、あたしが14の時、忘れちゃったでしょ、横浜の遊園地で会ったこと」

「……覚えてるさ……」

逆に、百合が記憶していることに驚いた。

そう、確かにほんの数時間一緒にいたことがある。あれは、そう、新人で表参道の店にいた時に店長に頼まれたのだ。オーナーの娘の送迎をしてほしいと。

撮影のため横浜にいるが、いつもの運転手が急な体調不良で代わりを探していると。

オーナーの娘? 撮影? 送迎?

意味が飲み込めずに戸惑う俺に、店長はサロンのエントランスに掲げられたパネルを指さした。

salon de KUSUMOTOの広告塔。十代半ばの少女。

陶器のような肌。柔らかなウェーブを描く黒髪にのせられた花輪の冠。

あどけない唇と対照的な大人びた眼差し。

俺がこの店に来た時ときから、KUSUMOTOの看板はいつもこの少女だった。

オーナーの娘なのだとは、その時まで知らなかった。

思い出してきた。

そうだ横浜の街に相応しい洒落た都会のメリーゴーランドの前にその少女はいた。

繰り返し響くシャッター音に包まれて少女が木馬に座っていた。

野花を描いたふんわりとしたワンピースをなびかせ。

田舎から出てきてまだ三年たたない俺には、映画のワンシーンのように映った。

木馬が回る。

5名ほどの撮影スタッフの邪魔にならないよう少し離れた柵の外で、俺は少女が再び目の前を通り過ぎるのを待っていた。

木馬に乗った少女が近づいてきた。無表情な大人びた眼差し。

彼女の気を引きたくて、小さく手を振ってみた。

“わっぜえ可愛いかねぇ”

無意識に鹿児島弁で小さくつぶやいてしまった。

やばい、多分聞かれた。

目の前を通りすぎる彼女がぷっと吹き出したのだ。

田舎者だと思われたと、顔から火が出るくらい恥ずかしくなった。

花がひらいたような笑顔に、シャッター音が繰り返し刻まれる。

 

 

「コウさん、撮影の後、あたしが観覧車乗りたいってお願いしたら、付き合ってくれたでしょう」

あれから十年が過ぎて、大人になった百合の問いかけに、記憶を辿る。

「あぁ、でっかな観覧車……でもそのあたりからは記憶が曖昧だな、だってあまりにも昔の事だし」

14歳とは言え大人びたモデルの少女が隣にいて、結構舞い上がっていたのは記憶にある。

緊張していて、何を話したのかさえ覚えていない。

「観覧車のなかであのウミガメの話を聞いて、あたし笑っちゃって、楽しかった」

「そっか、よく覚えていたねあんな話」

「だって、ところどころ鹿児島弁が混じって、さっきより難解だったわ。もうコウさん全然方言出ないのね。つまんない」

「もう東京出てきて十五年近いから。でもたまにポロと出ちゃうことあるよ、ですです、とか」

「ですです?」

「そうです、って意味」

プッと百合は吹き出した。回転木馬の少女の面影を忍ばせた笑顔。

「でも、あの時ほんの二時間くらい一緒にいただけの二人が、結婚してこんな南の島にいるのも不思議なことだね」

俺の問いかけに、百合は意味ありげな視線を投げてきた。

「だって、パパに見つかっちゃったのよ」

「なにを?」

「あたしの秘密」

ヒミツ? 話の行く先がつかめず黙って彼女の話の続きに耳を傾ける。

「だって気に入っちゃったんだもの。アイドルをそっと見守る感じ。あなたどんどん注目されてカリスマ美容師なんて言われてファッション誌にも載ったりしていたから、ネタには事欠かなかったし」

ネタ? やはり話の行く先がつかめずさらに黙って彼女の話に耳を傾ける。

「こないだパパがお見合いの話なんて持ってくるから、絶対にしないって言い返したら、普段足を踏み入れないあたしの部屋にきて、好きな男でもいるのかってしつこいのよ。だからウォークインクローゼットに作った秘密基地を見せたの」

「秘密基地って?」

「ほら、よく映画で壁一面にスクラップした写真やら記事やらを所狭しと並べているシーンあるでしょ、あんな感じ」

「は?」

「パパったら腰を抜かしちゃって、あの、友人の映画監督に相談したみたい、ちょうどそういう映画撮ってたから」

そうだ、アカデミーにノミネートされた彼の作品は……ストーカー事件を扱った……。え? ストーカー?

彼にアドバイスされ父はあなたのところに飛んで行ったってわけ。あたしが何かやらかすかもしれないって思ったのかしらね。探偵ごっこは今でも続けてるのよ。あなたの火遊びの相手もちゃんと調べ上げてあるし。あの水上コテージを誰が実は予約したのかなんてこともね」

思わぬ指摘に胸が跳ね上がる。バレていたのか。もしかして、だからあの島が気に入らなかった?

「パパが最初、断られたってうなだれて帰ってきたから、いいのよってあたし慰めたの。ただ誰とも一生結婚しないと思うけどって。そしたらパパったら懲りずにまたあなたのところに頼みに行ったみたいね」

「なんで俺なんか……」

「だって14歳にして初恋だったんだもの。なんでかわからない、可愛いなんて言われるのはモデルやっていたから当たり前に耳にしていたし、なんとも思わなかった。でもあなたの言葉には反応しちゃったの、胸がわくわくしちゃって」

ちらちらと視線を泳がせながら、この告白に、百合の頬は赤味さえ帯びてきた。

「あたし、素直じゃないから……随分生意気な女だと思ったでしょう」

いつも強気で睨みつけるような眼差しの彼女が、初めて見せた羞恥心。

俺は放心したように百合を見つめた。だけど今度は彼女が視線を反らした。

意外なまでの彼女の態度が、俺に余裕をくれた。

今までずっと振り回されっぱなしで、全てが百合のペースだったけど、少しは俺にリードさせてよ。

 

『良かったな、まさか百合が本当に結婚するとは思わなかった』

あの映画館監督の言葉にはこういう裏事情があったってわけか。

「火遊びは終わらせてきたよ、さすがにそこまで腐っちゃいないさ」

「……うん」

少し不安げに揺れる百合の瞳を見て、小さな罪悪感が沸き上がる。

サロンのエントランスを飾る彼女のブロマイドが、年月と共に大人の女性に変貌していくのを眺めてきた。

あぁ、あの時の少女だと思うこともあった。

生まれながらのサラブレッドの気品。彼女をみていると飾り立ててみたところで自分は所詮イミテーションなのだと思わされたりもした。

劣等感と羨望。

絶対に手の届かない都会の花。

だけど、そんな百合が、まさか俺のことをそんなふうに思っていたなんて。

それもこんなにも長い歳月。

確かに不自然なほど性急な結婚で足りないものはたくさんある。

でも、彼女にここまで想われて堕ちない男がいるだろうか。

桜島を抱く鹿児島の男は、覚悟を決めたら熱く真っ直ぐだ。

「……けしんかぎい(精一杯)あなたを大切にします」

飾らない故郷の言葉を添えて、今わきあがる素直な気持ちを口にした。

可愛いストーカーが、もっともっと俺に囚われて、溺れてしまうように。

 

 

極上の水上コテージであのハネムーナーも、こんな甘い時間を過ごしているに違いない。

だけど俺が必要だったのは、こんなにも何もない贅沢。

その意味をこの島に教えてもらった。

誰もいない二人だけの島。

車の音も雑踏もサイレンも、携帯の着信音も何もない。

少しづつ彼女を知っていく喜びに身を任せるだけのひと時。

きっとまた来る。そう思った。

次は二人で島選びからちゃんと始めなくちゃな。

砂浜の上に寝転んで、心地良さそうに俺の腕の中でまどろんでいた百合がいつの間にか小さな寝息を立てている。

日が高くなってきた。ランチはペンネとクラムチャウダーにするか。

キッチンの棚に並んだキャンベルの缶詰を思い浮かべる。

ビーチの木陰にテーブルをセットし、海を眺めながら食べるキャンベルのスープはきっと世界で一番贅沢なランチに違いない。

彼女を見つめながら、あともう一品、なんてランチのメニューに思いを巡らせる自分をまるで主婦のようだと苦笑いする。

そして何もかもが鮮やかなこの島を、ただ一途に愛しい気持ちで見つめていた。

 

【THE END】

イフル/写真(別窓)

ケロンパは基本8日+三食付で20万程度をいつも探します。
♥︎ ハネムーナーはゴージャスな水上コテージも素敵♥︎

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