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バージン 初めての男 小説 無料 アンサナ モルディブ

投稿日:04/08/2018 更新日:

今だけでいい、この夜だけでいい。どうしても必要だった。
ママにはわかるでしょう?
だから一晩だけ、彼をあたしに貸してよ。
【小説紹介文】

バージン 初めての男 小説 無料 アンサナ モルディブ

ママの恋人(アンサナ)1/2

今だけでいい、この夜だけでいい。どうしても必要だった。

ママにはわかるでしょう?

だから一晩だけ、彼をあたしに貸してよ。

 

ママの恋人 (アンサナ)

 

蒸し暑いシンガポールの夜がひたひたと忍び寄る夕刻。

贅沢な調度品を惜しげもなく並べる高級レストランに足を踏み入れる。

予約してある男の名を告げると、支配人らしき男はうやうやしく丁重な挨拶をしてきた。

そして、この艶やかな空間の延長にある屋外のテラス席へとボーイが案内する。

シャンデリアの光が溢れる室内と違い、庭園の淡いイルミネーションが華を添える隠れ家のような空間。

異国での待ち合わせに、こんな席を指定するところが彼らしい。

そこで物慣れた様子でひとりグラスを傾けている男の姿を私の瞳は捕らえた。

数年ぶりに顔を合わせるその男を、給士をするギュルソンの隙間からそっと覗き込む。

案内はここまででいいわ、と告げると、重要な任務を解雇されたような困惑をボーイは浮かべた。

だから悪戯っぽく、人指し指を口元に寄せる仕草をしてみせる。

そっと近づいて彼を驚かせたいのよ。

そんな思惑を一瞬で理解してくれたのか、共犯者のように微笑みながら頷くと、ボーイは去っていった。

ふふ、癖は変わらないのものね。

テーブルの上で両手を組む彼の仕草を懐かしく見つめる。

あれから6年もの歳月が過ぎたというのだから、彼は38歳のはずだ。

ヒールの音をなるべく響かせないよう気を付けながら、違う方向に視線を泳がせている男のテーブルにそっと忍び寄る。

屋外の照明が柔らかく彼の姿を照らし出していた。

蒸し暑いシンガポールの夜に、黒い麻の長袖シャツを涼しげに着こなす上等な男。

誇らしげな気持ちであたしはテーブルの脇に立った。

男の視線は動く様子がなく、庭の外灯をぼんやりと眺めたままだ。

今、彼の脳裏をよぎっているのは、20歳の時のあたしの姿だろうか?

その想い出には小さな波音が添えられているに違いない。

「ひどいわ、沢木さん、あたしに気付きもしてくれないなんて」

そっと、テーブルの上の彼の手に自分の指を添えると、彼に‥沢木にそう話しかけた。

椅子に座っている沢木が、ゆっくりとあたしに視線を移す。

その口元は笑いを噛み殺したようにうっすらと上がっていた。

「猫みたいに忍び足だったから、かくれんぼのつもりなのかなって思ってさ」

変わらない笑顔に懐かしさが込み上げる。

真っすぐ見つめてくるその視線は、いつだって心の中まで見透かされているようで‥

だけど、あの頃より大人になったあたしは、その眼差しに身を任せる心地よさに浸る事が出来る。

沢木は席を立つと、椅子を引いてくれた。

彼のこんなさりげないエスコート。相変わらず、様になっている。

向かい合ってお互いを見詰め合う。

「ママに似てきたね」

「ふふ‥それっていい女になったって意味?」

「最高のね」

沢木は手元のグラスを飲み干すと聞いてきた。

「食前酒、リクエストあるのかな?」

「ブラック・ベルベットを」

「いいね、君の今日のドレスに似合っているよ。でも驚いたな君の口からそんなカクテルの名前が出るなんて」

ブラックベルベット‥シャンパンと黒ビールをミックスしたカクテル。

ビロードのように柔らかい泡の下に隠された、怪しげな色彩。

口に含めば、それは人生のようにほろ苦く甘い。

「何だか妬けるね、君をそんな大人の女性に仕立てた男達」

「あら、貴方もその1人じゃなかったっけ?」

沢木は少し恥ずかしそうに苦笑いしている。

「ビックリしたよ、電話貰った時、よく俺のシンガポールの居場所わかったね」

「あたしが貴方の事、調べ上げるの得意だって忘れちゃった?」

「覚えているさ、でもまさか探偵でも雇ったって訳じゃないだろうね」

「馬鹿ね‥貴方って結構有名人なのよ。この情報化社会、すぐに調べはついちゃうのよ」

今や海外のホールも手がける建築家の沢木の情報なんて、パソコンの検索に打ち込めば何百件もヒットするのだ。

彼が5年前から、シンガポールに事務所を構えていることも。

事務所のテレフォンナンバーも。

まだ独身だってことも。

実は昔々若い頃に離婚経験があることも。

「貴方が手掛けた札幌のホールで、この間、弦楽四重奏でチェロを弾いてきたのよ」

「へぇ、感動だな君があのホールに立ったなんて。どんな曲を俺に捧げてくれたの?」

「シューベルトの『死と乙女』」

「すごいタイトルだね」

「この曲を弾くと‥何故かママを想い出すのよ。乙女って年じゃなかったけどね」

沢木はゆっくりと煙草に火をつけた。

その様子を眺めながら、あの日も同じ仕草をした彼の指先を思い出す。

「いや、乙女みたいな人だったよ、君のママは」

まだ、愛しているの?

貴方がずっと独身なのはママのせい?

決して沢木には手が届かない。

心に焼きついたママにはかなわない。

だから、貴方を諦めた。

だって、あの時のあたしったら…大人ぶるのに精一杯で、そんな余裕がなかったのよ。

他の女を胸に秘めている男なんて、許容範囲外だった。

6年前、沢木と過ごした南の島での1週間で、バージンだったあたしは身体だけではなく心も女になったのだ。

喜びや哀しみや嫉妬や快楽。

一度に押し寄せるその波に翻弄されて、ただしがみつくだけだった。

“初めての男とは結ばれないものよ”

誰かのエッセイに書いてあったっけ。

だけど、ママは教えてくれた。

秘密を告白するように。

“初めての男の善し悪しで、女の人生は決まるものよ。いい男を選びなさい”

それは台詞はあたしの胸に響き渡った。

ママが死んだ後も‥そう、まるで呪縛のように。

 

 

ねぇ、6年前のあの小さな南の島の風を憶えている?

ほら、小さなボートで辿り着いたあの楽園の風よ。

暗がりの中に浮かぶ南国テイストたっぷりのホテルのレセプション。

屋根にはゆっくりと回るプロペラが、エキゾチックなお香の匂いを掻き混ぜていた。

あの島は今でも変わらないのかしら?

小さな小さな南の島のバカンス。

その幕開けのチェックインで初めて、貴方はあたしが仕掛けた罠に気付いたのよね。

沢木はフロントから渡されたキーを不思議そうに眺めて、もうひと部屋のは?なんて尋ねていた。

馬鹿ね、ママと行くはずの旅行だったのよ。部屋なんてふたつも押さえてあるはずないじゃないの。

他のお部屋は満室ですと、南国の男は肩をすくめてみせた。

『あら、あたし全然構わないわよ。あなたのバスタイムを覗く趣味もないし』

沢木の背中から、小さな溜め息が聞こえた気がした。

だけどその一瞬の息つぎだけで、彼はこの状況を受け入れたようだ。

意地悪く彼を盗み見た時には、既に落ち着いたいつもの横顔だった。

到着したのは海の目の前にぽつりと建つ藁葺きのバンガロー。

部屋は豪華というよりは色彩センスの良いパリのプチホテルを思わせる。

ダブルベッドにはぽつぽつと南国ムードが漂う花が置かれていた。

どう考えたって、この部屋にあたしと沢木が1週間も過ごすというのはおかしな話だ。

だけどその違和感を無邪気に装う事で誤魔化した。

世間知らずのお嬢さん。

とりあえずはそんな仮面をかぶって彼の隙に潜り込めばいい。

『見て!あんな傍に海があるわ』

ワザとらしくあたしははしゃぐと、からからとベランダに抜ける大きなガラスの扉を開けた。

ふわりと部屋の中に優しい夜の潮風が舞い込んでくる。

目の前には、海を覗けるオンドーリと呼ばれる大きめのブランコ。

これに揺られながら眺める太陽の下の海を思い描き、少しワクワクした気分が沸いてくる。

その時振り返って沢木に見せたあたしの笑顔は、初めて見せた素顔だったのかもしれない。

ポーカーフェイスの沢木が、寛いだ笑顔で見つめ返してくれた。

ドウシテアタシタチ一緒ニイルンダッケ?

沢木の笑顔に胸を撫で下ろした途端、急に感じた空虚感。

あ、ママがいない‥

いない‥

どうして?

ママと来るはずだったのに。

ママが選んだ小さな島なのに。

だけど

ママがいない

そうだ、あの人は今、パパの隣で眠っているのだ。

決して目覚める事のない、永遠という名の休息に包まれて‥

 

 

小さな教会の一番後ろで、その男はただじっと立ち尽くしていた。

一見、しなやかな姿勢で立つ男は、思いがけない訃報にも取り乱さない大人の物腰を感じさせた。

目の前の信じ難い現実をただ映すだけの瞳。

絶望に干上がった心は、涙の存在すら枯らしてしまう。

背中に差し込まれた凍りつくような杖は、うつむく事すら許してはくれない。

声をあげて泣くことすら出来ない。‥そんな哀しみを閉じ込めた瞳を、どれだけの人達が見分けることが出来るのだろうか。

だけどあたしは見分ける事が出来る。

何故って、知っているから。

パパが亡くなった時に、同じこの小さな教会でそんな哀しみに打ちひしがれた瞳を見た。

言葉もなく、横たわるパパの棺を見つめるママの眼差し。

今でも忘れない。

ママが自分の唇に触れた薬指を、そっとパパの冷たい唇に寄せた仕草。

その指には結婚指輪が光っていた。

これから執り行われるは永遠の別れの儀式だというのに、それは、再び結ばれる為の誓いのキスのように見えた。

そして数年後、再びあたしは、教会の片隅で息を潜めている哀しみの瞳を見つけ出した。

今度はママを見送る別れの儀式の中で。

そして悟ったのだ、彼がママの恋人だと。

会った事もなかったけど、ママに恋人がいる事なんて気が付いていた。

ママの全てが、息を吹き込むように輝き始めたから。

あたしは、帽子から下ろされた黒いベール越しに、最後にママが愛した男を、何度もそっと盗み見た。

 

 

遠くで波の音がする‥

目が覚めると背中を向けて眠る沢木の姿があった。

夕べ、エキストラベッドを入れてもらおうなんて言い出した彼にあたしはすがるように懇願した。

『ママが死んでからずっと眠れないの。うとうとしても、すぐ目が覚めるのよ。
パパが死んだ時と同じ。あの時はママがしばらく一緒に眠ってくれたら治まったの』

女優顔負けの演技力だ、なんて心の中で呟いてみる。

『お願い。この島にいる間だけ、一緒に眠って?』

白いTシャツの背中を見つめながら、夕べのそんな会話を思い出し、笑いを噛み殺す。

あぁ、でも不思議だ。

昨夜の深い眠り。

夢を見る隙もないほどに、墜ちるように眠った。

だからだろうか?

こんな寛いだ気分で、沢木の背中をぼんやり眺めているなんて。

広い背中‥

そっとおでこを寄せてみる。

思ったよりも触れ合うそれは熱かった。

ママもこんな温もりに、もたれかかってみたかったのかも知れない。

 

 

『ママの遺言を伝えたいんだけど』

お葬式から2ヵ月後、表参道のコーヒースタンドのカウンター席で、コップに口を付けた沢木に唐突に話しかけた。

『君は‥?』

『あなたママの恋人でしょ?あ、ママはもういないから恋人だったって言った方がいいのかしら?』

『まさか麻理さんの娘さん?』

『娘がいるの知ってた?』

『あぁ、よく君の話を彼女してたから』

『あら、ママ随分色気のない話を貴方にしてたのね』

『遺言って?』

世間話を打ち切るように、少し堅い口調で沢木はそう聞いてきた。

『突発的な脳いっ血で意識が戻らないまま急死だったって聞いたんだけど』

一言一言を噛み締めるようにそう沢木は言った。

吸い口のある蓋のされた紙コップは、握りしめられて少しへこんでいる。

あたしはその中身がエスプレッソだって知っている。

まるで探偵ごっこかストーカー。

ママが死んでからこの2ヶ月、通っていた音大の授業を投げ出して、あたしは沢木の事を徹底的に調べ上げた。

だから知っている。

朝必ず沢木がこの店に立ち寄る事も、

愛用のタバコはLARKだって事も、

乗ってる車は深緑のMGだって事も、

毎晩立ち寄る行きつけのショットバーの場所も、

そして、あの哀しみの瞳のまま生きている事も。

あたしは沢木の紙コップの隣にそっとパンフレットを差し出した。

彼は不思議そうな顔でそれを手に取って眺めている。

旅行会社から送られてきた小さな島のパンフレット。

『ずっとこんな南の島に行ってみるのが夢だったの‥これがママの遺言よ』

『‥よく意味が判らないんだけど』

『来月の20日から、あたしママとその島に旅行に行く予定だったの。ママが行きたいって言い出してね』

『あぁ、君の20歳のお祝いに旅行に行こうと思っているって僕も聞いたよ‥どこに行こうかなって悩んでいた』

『亡くなる前日に、ママその島に行くことを決めて予約を取っていたのよ、それで夕食の時あたしに言ったの
仕事柄、海外は結構行ったんだけど、本当はずっとそんな南の島に行ってみるのが夢だったって』

沢木はただ黙って聞いている。

『それがあたしと交わした最後の会話。朝はすれ違いで会えなかったの‥まさか、あんなことになるなんて夢にも思っていなかったし』

あんな事‥その台詞に沢木の瞳は更なる哀しみで曇ったように見えた。

『それでね、貴方、代わりに見てくれないかしら?ママの夢だった南の島ってやつ』

『え?』

沢木は怪訝な顔であたしを見た。解読不能、そんな顔だ。

『だから、ママの代わりにあたしとその島に行ってみようって言ってるのよ』

 

 

アンサナ。

それが、絵に描いたような丸く小さなこの楽園の名。

こんもりと生い茂った椰子の木の群像。

浅いラグーンに連なる珊瑚礁は、色鮮やかな熱帯魚を抱く。

海の底は波が光を透かして織りあげる幾何学模様を、万華鏡のように映していた。

水上コテージをあえて持たないこの島は、ブルーサファイヤの海に取り囲まれ、奇跡のような美しさで存在する。

1周5、6分しかない、この島のゲストの為だけのレストラン。

海が一番良く眺められる席での朝食の帰りに、桟橋の方に散歩に出かけた。

沢木の一歩後ろを連なるように歩く。

木陰の心地の良い小道を抜けると、何もかもが鮮やかに光を弾く世界が忽然と現れた。

青、蒼、碧‥

海も空も、全てがその色合いの糸で緻密に織り上げられた極上のシルクのようだ。

足元に広がる浅瀬のビーチには、蝶のように舞う魚の群れ。

桟橋には異国の恋人達が、同じように朝の海辺を散歩に訪れていた。

隙間がないほどに身体を寄せ合い、南国の空気を甘い溜め息で埋めている。

愛を語り合っているだけ。その正直さが微笑ましい。

あたしはそっと沢木の腕に自分の手を絡める。

『ちゃんとレディをエスコートしてよ』

沢木は苦笑いしながら、『これは失礼』と言って歩調を緩めた。

建築をイタリアで学んだ沢木にとって、こんな風に女の子に腕を貸す仕草は慣れたものに違いない。

背が高く、ヨーロピアンに紛れてもなんら見劣るところのない風情の沢木。

いや、それどころかタンクトップから覗くアジア人独特の綺麗なくすみのない肌色と癖のない黒髪。

そして武道を思わせる背筋の伸びた姿勢の沢木は、誰よりも魅力的に見えた。

ちらりと彼氏の肩越しに沢木を盗み見る視線。

その奔放そうな青い目の彼女は、カレ、悪くないじゃないなんて、女友達のような賞賛を視線であたしに伝えてくる。

幼さなど微塵もない、大人の女の冷やかしにあたしも負けじと顎を上げて視線を返す。

そしてすれ違いざま小さくハローと挨拶をして通りすぎると、彼女はチャオと笑顔を返してきた。

沢木の腕に絡めた指に力を込める。

子供だなんて舐められたら、この島のゲストとして失格の烙印を押されてしまう気がした。

あたし達も、恋人同士に見えるのかしら?

桟橋の先端で並んで空を仰ぐ。

バニヤンツリーという名の隣島が海の向こうに見える。

遠くを見つめる沢木の瞳にママが映っている気がした。

彼は自分から決してママの事を口にはしなかった。

沈黙はその死を拒絶しているようだ。

ママのようになれたら‥思い出になる事を許されないほどに、誰かの胸に刻み込んでもらえるものなのだろうか?

それこそが女として生きた証のような気がする。

彼女はもう何も語らない。

沢木を知れば、ママが伝え忘れた何かに触れられる気がした。

空と海と砂浜。それ以外何もない島。

予定のない日々。だけど、かえってそれが心地良かった。

オンドーリに寝そべりながら、刻刻と移り変わる海の色彩を眺める。。

空へと続くブルーのグラデーション。

サンセットに染まる、酔うようなワインレッド。

闇に包まれた波間では、夜行虫がはかなく光りを放つ。

言葉なんていらなかった。

毎日、二人で息を飲むような色彩の移り変わりを眺めているだけで、特別な秘密を積み上げていく親近感がわいてくる。

ママ

この人のどんな所を愛してた?

薄くて柔らかそうな唇?

肩幅があるくせに細く引き締まっている体?

掴み所のない見透かしたような眼差し?

それとも‥そう、チェロの音色にも似た、包み込むような低い声?

 

『今夜はデートしない?』

いつもより少し早めの夕食の席で、そう話し掛けると沢木は不思議そうな顔をした。

『今だって君とデートしている気分だけど』

確かにそうだ。蝋燭の明かりを頼りに口にするパンとスープ。

恋人達の甘い夜に相応しい、海辺のデッキで頂くロマンティックなディナー。

『ちゃんと待ち合わせをしてデートするのよ』

『この狭い島で待ち合わせ?』

『10時にバーで待っていて』

あたしは1人で席を立ち上がると、沢木の耳元で小さく囁いた。

『後でね』

暗闇の中浮き出るようにライトアップされた小さな細い道を進む。

簾(すだれ)を下ろしたアジアンティックなヴィラが見えてくる。

お香が焚かれた室内は蝋燭が優しく灯り、至る所に飾られた小さな花が安息の予感を与えてくれた。

この島、アンサナの正式な名前はアンサナリゾート&スパ・モルディブ・イフル

身も心も癒してくれる贅沢なスパは、女心をくすぐるというものだ。

迎え入れてくれた笑顔の優しい女性スタッフから、お詫びの言葉が掛けられる。

本当は夕食前に予約を入れていたのだが、オーバーブッキングで既にスパの営業が終わっているこんな時間になってしまったのだ。

「Never mind (気シナイデ)」とあたしは言った。

この思わぬアクシデントで、沢木と待ち合わせをするなんてアイディアも思いついたのだから。

それに、8棟もあるスパのビラの中で、休息を味わっているのは自分だけなのだと思うことも、この時間をより贅沢なものに変えていた。

あたしの台詞に安心して頷くと、褐色の肌の彼女は裸になるようにと言った。

何もかも脱ぎ捨て、冷たいシーツに横たわる心地良さ。

身体にとろりとオイルが塗り込められていく。

スパで身体を磨いた後に男が待つバーに出かける。

バージンで20歳(ハタチ)の小娘の日常にはありえない‥そんな冒険に胸がときめいた。

ママはこんな贅沢なひと時を知っていたのだろうか?

ママは春には40歳になるはずだった。冬に生まれたあたしと違って何もかもが命に満ち溢れた季節に生を受けた。

一緒に出掛けると年が離れた姉妹に見られる事もしばしばだった。

7歳も年下の沢木の隣にいても、なんの違和感もなかっただろう。

少女のように無垢で、だけど何もかも知り尽くした大人の女。

ひと回り年上のパパも、一緒に暮らしながらも飽きることもなくあの人に夢中だった。

アンティークの家具を顧客の要望で見繕いコーディネイトする。

そんな仕事をしていたママは小さなホテルやレストランの仕事も手掛けていたせいか、オープニングのパーティなんかにもよく出掛けていた。

ドレスアップしたママといったら‥肌をあらわにする箇所が多いわけでもないのに、スリットから一瞬覗かせる形の良い脚だけで、

居合わせた男たちの視線を釘付けにする事が出来るのだ。

日常でも同じだ。

ジーパンに合わせた柔らかいブラウス。そこから覗かせる鎖骨の美しさだけで、男の心を鷲掴みに出来る女だった。

その色香とは対照的な意外なまでの気さくさと無邪気さ。

パパが死んで5年も経つというのに、沢木以外に恋人を持たなかったのは奇跡というものだ。

いや、居たのかも知れない。あたしが勘付く事のなかった、ママが執着しない程度の男達なら。

あの人は、正直なのだ。

愛するという気持ちは、隠し切れないほどに彼女を幸せに輝かせる。

『パパがね、今日はママのビーフシチューを食べたいんだって』

そんな何でもない会話の中に

『ママの』

と言葉を添えただけで、想い人の愛の告白を受けたように頬を染めて喜ぶのだ。

そんなママだったから、沢木との関係が一年以上も前から始まっている事くらいあたしは気付いていた。

どんなに取り繕って見せていても、沢木を想うママの身体からは女の幸せが滲んでいたから。

 

ゴーン‥

控えめだげどお腹に響くようなドラの音に我に返る。

スパの夢心地のマッサージの途中でうたた寝をしていたらしい。

ドラは至福の夢から現世に戻らせる為の合図なのだろうか。

思いもかけない小道具に苦笑いする。

シャワーを浴びると、体をするすると流れ落ちるオイルの香りが湯気に包まれて匂い立つ。

用意してきたサマードレスに袖を通すと髪をルーズに結い上げた。

華奢な肩紐で吊られたドレスには、ピン一本で危なげに保たれたうなじが似合う。

ママの後ろ姿から、そんな事もあたしは学んでいた。

鏡に映った自分に満足げに微笑むと、この島にふさわしくアンクレットだけをぶら下げた素足で、沢木の待つ海辺のバーに向かう。

沢木は両手をテーブルの上で合わせて、お行儀良く待っていた。

‥隣に女がいること以外は。

桟橋であたしにチャオと言った、あの青い目の彼女が沢木の隣に座っていた。

灯りが落された室内で、グラスを傾け合う二人は完璧な大人のカップルに見えた。

その席に向かう途中から、沢木の視線があたしに移ったのが判った。

だからわざとゆっくりと歩調を緩めて彼らに近づく。

女も視線を移した沢木に気付いたようで、こちらの方に首を向けた。

ねぇ、ママならどうする?

こんな時、どんな顔を見せてやるの?

あたしは満面の笑みで二人の前に立った。

イタリア語なんてわからない。

だから日本語で『こんばんわ』と話し掛けた。

チャオと話し掛ければ良かっただろうか?だけど、彼女のお国の言葉に合わせなければいけない義理もない。

『彼、貴方を退屈させてなかったかしら?』

あたしの問いかけに困った顔で彼女は沢木を見た。

沢木は可笑しそうにその台詞を通訳してみせた。

青い目の彼女は立ち上がって、あたしに席を譲りながら言葉を返してくる。

舌を巻き上げるようなイタリア語の発音。解読不能だったけど、彼女が退散を決めたのは見て取れた。

チャオと、初めて会った時と同じ笑顔を投げてよこすと、バーの外に出て行った。

『最後に何て言ってたのあの人』

『僕の視線が君に移るまでは退屈してなかったってさ』

『ふぅん』

どっかの安っぽい恋愛映画のひと場面みたいだと思った。

陳腐で魅惑的な男と女の会話。

本当はもっと修羅場があったほうが盛り上がるんだろうけど。

席を移ろうかと沢木が立ち上がった。

向かった先はバーに繋がる海を覗けるテラス席。

ゆったりとした長椅子。サイドテーブルには蝋燭が揺れていた。

沢木はそっとあたしの背中に手を添えてエスコートしてくれる。

『君はイタズラが好きなんだね』

小さく沢木が耳元で囁いた。

『ママの服を着てくるなんてさ』

『あら、貴方の前で着たことあったの?』

とぼけてみせる。ママがデートに着ていったことくらい知っていた。

あの日のママ、綺麗だった。

『貴方だって、デートの待ち合わせなのに、あたしの席に他の女を座らせるなんて意地悪なのね』

『彼女、勝手に座っちゃたんだよ。ママの席だったら、誰にも渡さないけどね』

怒っているみたいだ。

ママの物を持ち出したことを咎められているようだ。

あたしは怒られて拗ねた子供のように視線を反らした。

『ね、もともとのこの旅行の意味を貴方知ってるわよね?あたしの20歳のお祝いなのよ』

『‥まさか今日が誕生日じゃないよね』

『2週間前よ』

『じゃ、今夜はお祝いしよう。お酒飲める?何がお好みかな?』

『飲めるわよ。ママのワインをよく拝借してたから、銘柄なんて知らないけどね』

『じゃ、相当舌が肥えてるな』

沢木はボトルでシャンパンを注文した。

形の良いグラスに綺麗な気泡が立ち上る。

『シャンパンを飲んだことがある?』

あたしは正直に首を振ってみせた。

音大の遊び仲間と飲み会に行く事もあったけれど、その席にシャンパンなんて登場するはずもない。

『シャンパンはね、飲んだ後の女性を美しく見せる飲み物なんだよ、この泡に恋の儚さを語る人もいる』

『大人のお酒ね』

『色々な意味で贅沢なね』

祝福の為にグラスを合わせる。

何の為に?2週間遅れの誕生日に?この奇妙なバカンスに?

あたしは心の中で呟いていた。

ママに‥

今、彼の隣に、あたしの隣に、振り払えない幻を見せる邪魔なママに‥。

 

バージン 初めての男 小説 無料 アンサナ モルディブ 2/2

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