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魅惑の擬似バカンスをご堪能下さい

命短し恋せよ乙女 ブルーアイズ 小説 無料 エリヤドゥ モルディブ 2/2

投稿日:29/07/2018 更新日:

小さな海(エリヤドゥ)1/2

小さな海(エリヤドゥ)2/2

最初の一日をのんびり過ごし、4人でテーブルを囲む夕食は笑ってばかりだった。足元のホワイトサンドが心地のいいレストラン。ガスはBABYが欲しいと繰り返し、その隣で彼に寄りそうおネェは幸せそうだった。二人の甘い夜にお邪魔虫は退散しますと、早々にアンディとあたしはコテージに戻った。部屋に戻ると部屋はクリーニングがされた後で、ベッドが島の花びらで飾り立てられていた。

「あしたのダイビングたのしみだね」

ロマンティックに花びらが散されたベッドに寝転びながらアンディはそんな言葉を投げてくる。シーツに散らばるアンディのルーズなウェーブを描くブロンドの髪。そこに摘み上げた花びらをひとつずつ落としてみる。

「ふふっ可愛い」

こういうものに囲まれていると、アンディの綺麗さは競うように輝きを深めるみたいだ。花が似合う男。そうして寛ぐ彼は映画のワンシーンを演じているようにサマになる。羨ましいとすら思った。

「クミだってカワイイよ」

ベッドに頬杖をついて覗き込むあたしを見つめ返しながら、アンディは手のひらに集めた花びらを雨のように降らせてみせた。

誰かが、この様子を覗いているいたならば、甘いラブシーンをこの後期待するのだろう。だけど仲良くあたし達は寄り添って眠るだけ。ただその温もりの心地よさに浸るだけ。…変な関係だ。何も寄り添う必要などないはずなのに。だけど、ここにおいでと差し出される彼の腕は、あたしを優しく包んでくれるのだもの。どしゃ降りの中拾われた捨て猫のような気分だった。

しっ静かにいい子にして。ママに見つかるからね。本当は駄目なんだよ。だけど元気になるまで置いてあげる。優しくしてあげる。一週間だけね。

そんな期間限定のひととき。上手く言えないけど、あたし達はそんな関係。それに、お互いを暖めあうように寄り添っても、ネコと人間じゃ恋愛にはならないでしょう?

傷を負った捨て猫役は時にアンディにもなる。彼が時々、消えそうなほど寂しげにぼんやりとしてみせるのは気のせいだろうか?今日、一度だけアンディはあたしを違う名で呼んだ。…いや、あれは独り言だったんだろう。水平線に沈む夕日が金色に染めあげた空を見つめながら溜め息のようアンディの口元からこぼれてしまった台詞。

「Micky,Look at the sky. What a beautiful view it is‥ 」
(ミッキー、見テヨアノ空。ナンテ綺麗ナンダロウ…)

パームツリーの木陰がゼブラ模様のを影を落とす。その下でくつろぐあたし達はサバンナで息を潜めて身を守るシマウマのようだ。だけどこの島はあたし達を傷付ける物は何もない。嫌いだと思いながらも、癖のように待ってしまう彼からの着信音も。あたしの行動範囲全てに刻まれた、彼の断片も。

朽ち果てた珊瑚が波に削られてこの美しいエリヤドゥのホワイトサンド(白砂)の一粒になったように、この海に抱かれていると、あたしの恋の亡骸も、珊瑚の欠片のように、さらさらとさらわれていく気がする。浄化され積み重なった想い出は、島を取り囲むホワイトサンドのように、足元を優しく包んでくれるだろうか?

焦ってはいけない。そう思った。ただ身を任せていればいいのだ。珊瑚の欠片がこの島を形作るまで、気が遠くなるほどの年月を重ねた事だろう。だからこそ奇跡のように美しいこの島は存在するのだ。

あたしの無くした恋も、いつかそんな風に少しずつ、優しい想い出に変わればいいなと、そう思えるようになった事が一歩踏み出せた証。
今はそれだけで充分だと思えた。この一歩が踏み出せない事がどんなにあたしを苦しませた事か…

しましま模様の木陰であたしの手におでこをのせてうたた寝るするアンディの髪をそっと撫でてみる。どしゃ降りの雨に凍える猫を手のひらで暖めるみたいに…アンディの終わった恋にも、この楽園の魔法がかかるといいなと心の中で祈ってみた。

午前中に簡単なチェックダイブを終えた後、島から30分くらいのポイントにボートダイビングに出かけた。ドーニの後を戯れるようにイルカの群れが追いかけてくる。それだけでも興奮する出来事なのに、それはこの海の下の素晴らしさの、ほんの序章に過ぎなかったのだ。

今日のダイビングでの相棒、パディはアンディ。あたしがダイビングをやるきっかけは、あの別れた彼がダイバーだったからだった。彼以外の人とペアを組んだ事はなかった。

沖縄、伊豆、グァム…想い出の海が頭をよぎる。

なんで今、こんな場所で…久しぶりに感じてしまったあの彼の不在。胸が奥がチクリと痛んだ。

「クミ、ダイジョウブ?」

黙り込んでいるあたしに、船酔いでもしたのかと、心配そうにアンディが覗き込んでくる。親指を上げて大丈夫だとジェスチャーしてみせる。そして頭をよぎる想い出を、振り切るようにモルディブの海に飛び込んだ。

ああ、この感覚…ゆっくりと海に抱かれながら沈んでいく。この場所から生まれたんだとさえ感じてしまう瞬間。音のない世界は他の器官の全てを、より敏感に研ぎ澄ましていくようだ。

見上げれば海面から覗く南国の太陽が揺らめく波にオブラートされて、息を呑むほどに幻想的な光を放っているのが見える。ゆらゆらと揺れる海面はあおいゼリーのようだ。その光を遮るように渦巻いているギンガメアジのトルネード(渦)。

心臓がドキドキしてくるのがわかる。昨日、シュノーケルしながら眺めていた海の下の魚の渦。ダイビングで今日はその中に紛れ込んでいく。自分も魚になったような、そんな幸福感に包まれる。

水深が深くなるほどに太陽の光が月光のようにディープブルーの海面に映し出される。吸い込まれそうだ。空に浮かんでいるのか、海に浮かんでいるのか。現実離れした風景にぼんやりしすぎていた。急に水温が冷たく変わった事に気付いて我に返る。自分だけがさっきより早くなった潮の流れに注意もせずに流されていた事に気付いたのだ。

馬鹿だ。あたしは…

魚に気を捕らわれて、潜ってから一度もアンディを意識していなかった。

焦っちゃダメ。

深呼吸をしてゆっくりと周りを見渡してみる。レギュレーターから吐き出される他のダイバーのバブルを探してみるけれど、確認する事が出来なかった。さっきまで鮮やかに見えていた周りの全てが、急に色褪せた冷たい寒色系の風景に変わる。静まり返った海にドクドクと波打つ心臓の音が、耳障りなまでに鳴り響いていた。呼吸が速くなっていくのが分かる。

あたし、漂流しちゃってる?この上、エア切れが起きたら…右にも左にも動けず、途方に暮れた子供のように、ただそこに立ち尽くしていた。

ゆらりと頭上から光が差してきたのかと思った。逆さまになったアンディが、信じられないアングルであたしの頭上からゆっくりと降りてきた。光だと思ったそれは海に漂う彼のプラチナブロンド。大げさかも知れないけれど、おネェが挙式した小さな教会の天井に描かれていた天使を思い出していた。

アンディはチッチと指を振って、ダメじゃないかという仕草をした。マスクから覗くブルーアイズは優しいままだったけれど。緊張の糸がプツリと音を立てた。すがるように掴んだアンディの腕。情けないくらいにあたしの指先は震えていた。

アンディはあたしの髪を優しく撫でた後、そっと手を握った。そして見てご覧と上の方を指さしてみせた。何万匹という小さな魚が創る青いカーテンがオーロラのように海面から降りてきた。

知ってる…眠れない夜に暗闇の中浮かんでいた、アンディが教えてくたあのブルー…

マダラトビエイの連隊が悠然とマントを翻し通り抜けていく。それを眺める観客は、珊瑚に群れるトロピカルフィッシュ。さっき恐怖で凍りついてきた青い世界がアンディがもたらした光に照らされて再び輝き始めたようだ。

ゆっくり二人で浮上していく。お互いのレギュレーターから溢れるバブルの泡に包まれながら。体が溶けて海の泡になっていくような錯覚。

海面から頭を出すと、少し離れた所にいるドーニに向かってアンディが大きく手を振る。船先でのんびりとタバコをふかしていたモルディブマンが手を振り返すのが見えた。口からレギュレーターを外すと、アンディは拗ねた子供みたいに口先を尖らせた。

「サカナばっかりみて、クミ、ボクをみてくれない」

「ごめんなさい」

Sorry…と消えそうな声でもう一度謝った。握った手に少しだけアンディは力を込めて、おどけた仕草で囁いた。

「ハナサナイよ」

彼がふざけているのは判っているのに、その台詞に顔が熱くなっていく感覚にあたしはうろたえてしまう。アンディは更に言葉を繋げた。

「What's "for ever"in japanese?」  ("for ever"ッテ日本語デ゙何テ言ウノ?)

そう尋ねるアンディに、“ずっと”と答えようとして、その言葉をすり替えた。ちょっとだけ、あたしに心地よい響きに変えて訳してみる。

「“永遠に”って言うのよ」

「エイエンに?」

頭にインプットしているのか、アンディはしばらくその単語を繰り返していた。そして優秀な生徒のように、早速復習がてら実践にうつしてみせる。

「ハナサナイヨ、クミ、永遠ニ」

この海に飛び込む寸前は別れた彼への想いに一瞬でも胸を痛めていたというのに、あたしは何て不埒な女なんだろう。けれども、誰が逆らえるというのだろう?彼の青い瞳の海に溺れる甘美なひとときに。疑似恋愛だと知りながらも、甘い言葉をオウムのように囁く彼にちょっとだけ酔ってみる。だって、ずっと島に溢れるハネムーナーに当てつけられてきたんだもの。ちょっとだけあたしも仲間に入りたかっただけ。本当に愛し合っている、この海で戯れる幸せな恋人達の…

イタリア人とドイツ人に混じってビーチバレーを楽しむアンディとガスを眺めながら、あたしとおネェはのんびりとビーチチェアに腰を下ろしてビールに口をつける。

「おネェ、来月から日本勤務ってずっとこっちに戻ってくるの?」

「先々の事はわからないけど、年単位での話だわね」

「アンディも?」

「希望すれば部署を移動してイギリスに残る選択も出来たんだけどね。アンディは日本に行きたいって」

「…ふうん」

「あんた達、結構お似合いなのにね~。気も合うみたいだしさ」

「べっ別にっ。何言ってんのよおネェ」

「ま、恋人にはなれなくてもさ、ちょっと不思議な男女関係もたまにはいいんじゃない?。アンディといるアンタ、楽しそうよ」

「…うん」

「そうそう、あたし達皆、一度日本に寄ってからイギリスに戻るから帰りは一緒ね」

「えっ?そうなの?」

「会社に顔出さなきゃいけなくてさ、三日くらいしか居ないんだけど」

何となく一人で帰国するのは寂しいななんて思っていたので、ちょっと嬉しかった。アンディが見事なアタックを決めるのが見える。こっちに向かって得意そうに手を振ってくる。手を振り返しながら、心の隅っこでそっと呟いてみる。アンディを独り占め出来るこのバカンスがずっと続けばいいのにと。

贅沢を覚えた捨て猫は、元のノラに戻るのが怖いのだ。温かいミルクを差し出してくれる腕にいつまでもまとわりついていたいのだ。あたしは苦笑いした。この島で過ごすひと時だから許される関係なんだと。日本で過ごす日常でも、いい友達になれればいいな…なんて思ってみる。時々、勘違いをしそうな彼との時間に翻弄されながらも、あたしは割り切ってそれを楽しむ術を身につけていった。

ダイビング三昧の毎日。イルカにマンタにウミガメ。そんな大物と当たり前に遭遇する海の中。エリヤドゥの小さな売店で手に入れた魚図鑑を広げながら、その日見た魚をベットの上でアンディと眺める。

巨大なクラゲを見て驚くあたしに、英語でゼリーフィッシュと言うのだとアンディは教えてくれた。アンディの口からこぼれたゼリーという響きに、目の前のクラゲがぷるぷると美味しそうに揺れて見えた。

肌は日に日に降り注ぐ金色の陽射しを吸い込んで、この島の住人らしくこんがりと色付いていく。楽園の風は優しくあたし達を駆け抜けて、楽しい時間はあっという間にに過ぎていった。

最後のディナーを迎えるテーブルはウェイター達の心遣いで華やかに飾りたてられていた。明日この島、エリヤドゥを去るのだという現実にちょっとセンチメンタルな気分になる。ウェイターが今日はバーでダンスパーティがあるからねと、ゴーゴーダンスを真似てふざけてみせる。最後の夜を笑い飛ばそう。荷物をまとめたら四人でバーに繰り出すぞと約束をし、それぞれの部屋に戻って行った。

大きなスーツケースを床に並べて大まかに荷物を片付けると、アンディがあたしに売店で買った魚の図鑑を差し出してくる。

「クミがもっていて」

「え?いいの?」

本の間に何かが挟まっているのに気付いて開いてみる。ベットをデコレーションしていた花びらが、丁寧に数枚押し花のように挟まっていた。

「プレゼント」

照れた仕草でアンディは言った。何だか胸が詰まって言葉が出ない。

「モルディブ、またきたいね 」

ふわりと柔らかい声。

「うん」

「クミ、ときたいな」

嬉しかったけれど、曖昧にあたしは笑ってみせた。

「アンディ素敵だもん、すぐ恋人できちゃうよ」

アンディがゆっくりとあたしに近づいてくる。その優雅な様子をただぼんやりと眺めていた。ソファにもたれるあたしの背もたれにアンディは両手をついた。彼の腕の隙間に挟まれて、あたしの頭ひとつ上から垂れてくる彼の髪の感触にただうっとりとしていた。

アンディはよくこんな風にあたしにじゃれてくる。甘えん坊の美しいピューマ。こんなコミニケーションは日常だったから、ただ、触れる彼の髪の柔らかさに心地よく浸ってみる。だけどこの後、彼が口にした言葉は意外な台詞だった。

「クミがリラックスしてたからボク、だまってた」

アンディが話している意味が掴めず、あたしはただ不思議そうな顔をしてみせた。

「ボクは、オトコもオンナも恋人にできるよ」

「えっ?」

「マエのコイビトは、オトコだった。だけどオンナノコのコイビトもいたことあるよ」

あたしの目線までアンディはしゃがみ込んで、そしてゆっくりとその隙間を狭めてくる。彼の肌の匂いすら感じる距離。何が起きているのか…くらくらと眩暈すら感じる。

あ…キスされる…慌てて閉じた瞼の上に感じる柔らかい唇の感触。たぶんあたしすごい顔してる。火が出るくらい顔が熱い。

アンディがあたしを覗き込んでくる。その瞳の奥に浮かんだ初めて見る男っぽい眼差しに突き刺された。

「ここじゃつまらないってカオしてる」

キスの温もりがまだ残っているあたしの瞼を指でなぞりながら、期待させるような甘い言葉をそっと耳に流し込んでくる。何もかもが思いもかけない状況にパニック状態に陥っていた。

男も女もって…

恋愛対象になることはないんだと、すっかりこの部屋での同居生活は女同士のノリで接してすらいた。アンディ、背中のファスナー上げてよ、なんてワンピースの後ろを覗かしていたのはあたし。アンディから借りた大きめのTシャツを被っただけで、部屋をうろうろと歩き回っていたのはあたし。

だって、アンディにドギマギさせられるような事はあっても、それはあたしが勝手に彼にそう感じる事があっただけで。

だって、アンディみたいに綺麗な人にドキドキするのは誰だってあたりまえ、くらいの感覚であって…

だって、アンディが女のあたしに特別な興味を持つ事なんてありえないと思っていたからであって…

駄目だ。やっぱりパニくってる。

“つまらないって顔してる”

さっきの彼の台詞が、今更のように繰り返し頭の中で響いている

つまらないって…つまらないって…

後ずさりしようにも、身体はソファーの背もたれに押し付けられたままだ。再びアンディが近づいてくる気配に息を呑む。その空気を切り裂くかのようにノックの音が響いた。

「行くよ~!今夜は飲み明かすわよ!」

夜の海が目の前に広がるビーチバー。そこで何事もなかったかのように振舞うアンディ。悪ふざけが過ぎただけ…あたしは自分にそう言い聞かせた。

だって、アンディは結局は瞼に親愛のキスを落としただけではないか。外国じゃ、挨拶だよね。

あの時、もう一度アンディが近づいてきた情景が頭をよぎる。ノックの音がしなかったら、次はどこにキスしようと思ったんだろう‥

“つまらないって顔してる”

一体どんな顔で今晩、彼の隣で眠ればいいのだろう。Tシャツ1枚で眠るのは控えておこう。確かにリラックスしすぎていた。日本の女の沽券にかかわる。

ビーチバレー仲間が途中で乱入してきて、バーの夜は大賑わいだった。ドイツ人にはビールを勧められ、イタリア人は“チンチンチン”と乾杯の音頭を繰り返して、次から次へとグラスを差し出してくる。しばらくして気が付くと椅子にもたれてアンディは眠っていた。あんまりアンディお酒は強くないのよね~と、おネェは笑っている。

腕っ節の強そうなメンバーが数人選ばれて、担ぎ出すようにアンディをコテージまで運んでくれた。さっきの喧騒が嘘のように静まり返ったコテージの中で、深い眠りにつくアンディの寝顔を飽きもせずに眺めていた。

吸い込まれそうなその青い色素を、隠すように閉じられた瞼に耳を寄せれば、あの海と同じささやかな波音すら響いてくる気がする。夢の終わりをカウントダウンしながら彼の隣に潜り込む。

馴染んだ温もりを離し難いと思いがらも、自分の心の傷がだいぶ癒えた事も感じていた。この楽園とアンディの魔法の1週間。彼の傷も少しは癒えたのだろうか?後半、あの寂しげな横顔を目にする事はなかった気がする。

“クミと、またきたいな”

さっきのアンディの言葉。素直に“うん”て頷けばよかったな…なんて、酔いが回った頭で思ってみる。最後の夜を名残惜しみながら、そっと瞼を閉じてみた。

日本は出掛ける前より春めいているのに、南国の陽気に慣れた身体には寒さだけが際だって感じられた。成田空港におネェ達はスーツケースを預けると、数日分の荷物だけバックに詰め替えて、渋谷のホテルに予約をいれた。成田エクスプレスで新宿に出て、山手線に乗り換えようと連絡通路に向かう。その途中、おネェ達がコンビニに寄るからと店に入って行ってしまったので、あたしは入り口でぼんやりと行きかう人達を懐かしい気分で眺めていた。

「久実!偶然っ」

その声に目をむけると会社の同期だった子が目の前に立っていた。その後ろにも何人か、知った顔が連なっている。その中にあの彼と、隣には例の浮気相手の彼女も目に入った。新宿にある本社での打ち合わせの帰りらしい。

どこか海外に行ってたの?と皆が陽焼けしたあたしの肌と隣に置いたスーツケースを羨ましそうに覗いてくる。

「…ダイビングにでも行ってたの?」

少し躊躇しながらも、別れた彼がそう尋ねてきた。こんな風に言葉を交わしたの久しぶりだ。懐かしがちょっとだけ込み上げる。彼のスーツの裾を彼女がそっと引っ張るのが見えた。ぴたりと彼の隣に寄り添って、にこやかにあたしに微笑んで見せてくるが、その眼差しは挑戦的なものだった。

…もう大丈夫。

自分に言い聞かせてみる。もう、こんな二人を見ても、あたしは傷つかない。

いつもは目を反らしていた。だけど今日はあたしを見据える彼女の目を、真っ直ぐ見詰め返せる。

気の強そうな瞳の奥に、その子が浮かばせた不安げな揺れ。今まで思ってもみなかった。だけど、女の勘で直感的に感じてしまった。遊び人だなんて軽く見ていたけれど、この子は本気で彼を好きなのかもしれないと。

そうだったらいいなと、そんな気持ちさえ湧いてくる自分を不思議に思う。

皆の視線が一斉にあたしの後ろに移ったのがわかった。不思議な気持ちであたしも振り返ろうとした時だった。

ふわり。

後ろから優しく抱き締められる。その温もりは振り返らなくても、アンディだと判った。皆、思わぬゲストに目を丸くしている。

「コンニチハ、アンディです。クミのトモダチですか?」

「イ…イエスッ」

同期の子はあたふたとしている。

「久実っまさか彼氏?」

なんて答えていいやら…あたしは答えに詰まってしまう。注がれるいくつもの眼差しの中で、アンディが別れた彼を選んだかのように視線を合わせたのは気のせいだろうか?

「今、バカンスからモドったんだ」

アンディの言葉に女の子達から「え~っ」と羨ましげな声があがる。

「モルディブ、サイコーです。皆もコイビトといってね」

甘い笑顔でウィンクさえ投げてみせる。そんなアンディに女の子達は頬すら染めだした。

「ちょっと久実!いつの間にっ」

違うんだと言い訳をしようとした時だった。顎に添えられる指の感触。それはほんの少しの力であたしの顔を上向きに持ち上げた。

青い海が近づいてくる。波の音が…海に抱かれている感じ。ほら、ドーニから飛び込んでゆっくりと海面から沈んでいく時のあの感覚。

アンディの腕の中で唇を塞がれていた。身体が浮いたような感覚に何が現実かわからなくなっていた。

周りの女の子の溜息交じりの歓喜の声。

どんな風に彼らの前から去ったのか記憶にない。気が付くと、アンディに手を引かれて駅の中を歩いていた。はぐれてしまったと思っていたおネェ達が少し前方で待っているのが目に入る。

「見たわよ」

おネェは怖い顔をして腕組みをしている。悪戯を見つかった子供みたいに、悪い事もしていないのにおどおどしてしまう。

「…アンディなら合格よ」

信じられないオネェの台詞。

「アンディじゃね~」

肩をすくめておネェは笑ってみせた。信じられない。あのおネェから合格点とは…オネェの隣でガスが嬉しそうに拍手している。

一体あたしに何が起こったというのだろう?さっきのキスは…

電車は渋谷に着いてしまい、おネェ達とはここでお別れだ。あたしはここから私鉄に乗り換え、皆は隣接するホテルに向かうのだから。新宿から三駅の距離を、アンディとは言葉も交わしていない。ただ、繋がれた指先が熱かった。どんなリアクションをしたらいいのか全く判らず、とにかく、一人になりたかった。

「じゃあ」とそっけなく逃げようとしたけれど、

「…アンディ…手っ」

絡んだ指があたしを繋ぎ止める。

「やだっ見てよ久実、顔、真っ赤よ」

おネェの奴…判っているから逃げ出したいんじゃない。アンディは繋がったあたしの手を持ち上げると、そっと指先にキスを落とす。そしてあたしの耳元に唇を寄せてあの台詞を口にした。

「ハナサナイよ、クミ、永遠に」

ヒュ~ッ。とガスが口笛を鳴らす。目を丸くしておネェは驚いた様子だ。

「わおっ、すっごい殺し文句っ。どこで覚えたのよアンディ」

「“コロシモンク”って?」

「ん~"Telling Phrase"かな?」

気が遠くなりそうな意識の中で、隣では勝手に日本語講座がはじまっている。いつの間にかアンディはちゃっかりと、あたしのスーツケースを転がしながら歩き始めた。

“永遠に…”

あたしだって子供じゃない。その言葉をつかのま信じて、いくつもの恋を積み重ねてきたのだ。

“永遠に…”

また、あたしは繰り返すのだろうか?ひとときの蜜月と、永遠という言葉の儚さを噛み締める恋の終わりを。

“命短し恋せよ乙女”

…そうだ。花の命は短いのだ。恋を恐れて過ごしていたら、あっという間におばあちゃんになってしまう。

あたしは覚悟を決めた。そっと手を握り返してみると、嬉しそうにアンディがあたしを覗き込んだ。

「また、アンディと行きたいな」

あの島で言いそびれた台詞を今更のように口にしてみる。なんの脈絡もなく放った言葉だったけれど、彼は理解してくれたのか、優しい笑顔のまま頷いてくれた。

青い、青いアンディの海のような瞳。優しく覗き込むその海にあたしを映し出す。溺れていく甘美な息苦しさがひたひたと押し寄せてくる。ちりちりとあたしのあちこちを焦がしながら、彼は黙ってエリヤドゥの陽射しのような熱い眼差しを注ぐ。

あたしのバカンスは終わらない。小さく息継ぎのような溜息を溢しながらそう思う。

隣にアンディの小さな海がある限り。

(THE END)

エリヤドゥ/写真 (別窓)

目次

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♥︎ ハネムーナーはゴージャスな水上コテージも素敵♥︎

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