満月は人の心をかき乱し、狂わせる。
あたしの手に繋がれた温もり。
ただ、それだけが今は欲しかった。
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満月の誘惑(ママの恋人-番外編)
愛ってなんだっけ。
沢山恋をして、知り尽くしたつもりだったけれどやっぱりわからない。
ねぇ、あなたはそれを知っている。だから羨ましいのよ、あたし。
例えそれが、絡んだ鎖のように、心の自由を奪うものだとしても。
満月の誘惑(ママの恋人-番外編)
「びっくりしたわ。連絡も無しに、こんな夜中」
「…ごめん」
「いいのよ。驚いただけ、起きていたし。明日は…そうよ、クリスタルホールの件で午前中、あなたと打ち合わせの予定だったんじゃない。だったら一緒にのんびり夜更かしをして、遅い朝食を一緒に食べながらミーティングしましょうか」
「あぁ、その件は急いでないから、明日じゃなくてもいいんだ」
「じゃあ飲みましょ。リクエストある?」
「僕がこの前持参した、バーボンウィスキーはまだある?」
「ふふ、あたしの部屋ってボトルをキープしている飲み屋みたいね。ついでにあなたの部屋着を出しましょうか。その黒いシャツ似合っているけれど、楽な格好でくつろぎなさいよ、シャワーでも浴びてきたら?」
「お言葉に甘えるよ」
おどけた口調で彼は言うと、勝手知ったるバスルームへと消えて行った。珍しい事もあるものだ。見た目はいつもと変わらない落ち着いた物腰だった。けれど、彼らしからぬ突然の来訪は、その心が平穏ではない事を物語っている。
クローゼットから彼の着がえを取り出し脱衣所のタオルの上に乗せておく。時計に視線を流すとちょうど夜中の12時を回ったところだ。4時間ぶりの再会。その事を彼は知らないだろうけれど。
夕刻、行きつけのイタリアンに足を運んだ。テラスの席をと言うと、顔なじみのギャルソンは少し困った顔を見せた。いつもと違う対応に違和感を感じながら、そこに足を踏み入れ、あたしは納得した。
沢木が…仁(ジン)が女連れで席に付いていたのだ。
この店に連れてくるなんて、それなりに気をかける相手という事だ。あたしは、興味深々に目を凝らして女を見つめた。まだ20代といった感じの綺麗な女の子。
最初は離れた席で様子を伺って、後でからかうネタにでもしてやろうかと面白く思っていた。だけど、そんな気持ちはその子の仁を見つめる眼差しに吹き飛ばされてしまった。彼女は濡れた瞳のまま、優しく仁を見つめていた。
昨日、今日の色恋沙汰の痴話喧嘩という訳でもなさそうだ。あたしは退散を決めた。招かざる客になんて、なりたくはなかった。
踵を返して店を後にする。さっきのギャルソンが慌てた様子で店の扉を開けてくれた。彼の優しい気遣いに、微笑みを添えて通り過ぎる。あたしの様子に安心したように、彼はイタリア語で小さく囁いた。
「Buona notte(お休みなさい)」
あんな恋人がいるだなんて全然気づかなかった。仁は元々ポーカーフェイスではあったけれど、恋人がいる事を隠したりはしなかった。わざわざ報告する事もなかったけれど、女がいるなんてオフィスで毎日顔を付き合わせていれば、察しがつくというものだ。
不意打ちの女の存在に違和感を感じる。しかも、絆さえ感じさせる程に深い関係に見えた。
あ、この違和感…いつかと同じだ。こういう時の女の勘って恐ろしい程に当たるものだ。いつか…そう、あの時と同じ。
湯上がりの濡れた髪は、彼を無防備に見せる。38歳。ジムで鍛えられた体は、嫌味にならない程度の好ましいバランスを保っている。キャリアは男を磨く。恋もそうだ。
仁を捕らえる悲しい恋は、永遠に彼を解き放たない。その甘美な呪縛。愛を知る男の色気を備えた、上等な大人の男。あの女の子もその眼差しに、溺れてしまったのだろうか。
「随分、無粋な視線だね」
「あら、失礼。いい男に見惚れちゃったわ」
仁はコロナの瓶ビールに口を付けながら苦笑いしている。
「今日は悪かったね。君の好物の手長海老をお預けにさせちゃって」
「あら、すぐに退散したのに、店にいたの気付いてたの?」
隙のない人。あの時ちらりとこちらを見もしなかったくせに。
「彼女、麻理さんの娘さん。結婚式の招待状を届けてくれたんだ」
驚いた。麻理さんの名が出た事に。それに娘と彼が親しいなんて初耳だ。
結婚式の招待状…その状況はふたりが恋人なんかではない事を物語っている。だけどあの涙…。
「絹ちゃんって言うんだけど、6年ぶりに会ったら、随分大人になっちゃって驚いたよ」
6年ぶり…そんな歳月を隔てて、わざわざシンガポールまで招待状を届けに来るなんてね。隙がないようでも、仁はやはり男だ。言葉の中に見え隠れする、裏の真実にまで気を配る事は出来ない。6年…その単語がずっと噛み合わなかったパズルの最後の1ピースになった。だけどそんな動揺を微塵も出さずに、あたしはからかうように言った。
「あんな綺麗な子、泣かせてやるじゃない、って感心してたのよ」
「結婚前の女の子って繊細なんだよ」
細かい詮索を心の隅に追いやって、そう、とあたしは話を打ち切った。
「テラスで飲まない?」
風に触れたい心境だった。大きなガラス戸を開け放ち、外に出る。シンガポールの夜景を一望出来る20階のテラス。この部屋を探し出してくれたのは、仁だった。
シンガポールの設計事務所が軌道に乗り始めた仁に、2年前、冗談半分で『あたしも行こうかしら』と言った。
『仕事、もしよかったら手伝ってくれないかな?君がボスでもいいよ。それにパーティがやたら多くてさ、俺の隣に華を添えてくれると嬉しい」
仕事に私情を挟む人ではない。同じ建築家として腕を認めてくれての誘い文句。だけど仁は感じ取っていたのだろう。海を隔てた受話器越しに、あたしの心が悲鳴をあげている事を。
日本を逃げ出したい理由があった。恋人との別れ、30代半ばの漠然とした憂鬱。
「ね、乾杯しましょうか」
「何に?」
「そうねぇ…」
ライトの代わりに、キャンドルを灯す。ステンドグラスのカップの中で、光を放つ淡い炎は、テーブルに様々な色彩を照らし映した。
「あたし達の腐れ縁に乾杯っていうのはどうかしら?」
「いいね」
くつろいだ顔で可笑しそうに、仁は口の端を上げた。
「大学時代からの腐れ縁に」
カチンとビールの小瓶は鈍い音を立てた。
シンガポールの蒸し暑い夜にふさわしい潤い。
「俺、今年で麻理さんの墓参り止めようと思う」
「そう」
努めて、さりげない相槌を打つ。
「いや、定期的に行くのは止めようかなって…」
自分の心の迷いを、言葉にしては躊躇してみせるその様が痛々しい。本当は潔い男なのだ。この蝕んだ恋心以外では…。
「行きたくなったら、いつだって行けばいいのよ」
その台詞に、仁の瞳は救われたような安堵の色を浮かばせる。そして子供のようにゆっくりと頷いた。
こんなにも、彼を捕らえ続ける美しい人。
あたしね、あなたと麻理さんには焼きもちなんて焼いた事、ないのよ。あなたが彼女をあたしに紹介してくれた時には、拍手したいくらいの気持ちだったわ。あっぱれって感じ。そんな相手に巡り会えたあなたが羨ましいとすら思った。
こんな女性になりたいものだと、憧れさえ抱くほどに彼女は魅力的だった。笑い顔ひとつとってみても様々な顔を見せるのだ。大人の妖艶な含み笑いにドキリとさせられたかと思えば、あたしの服の裾を引っ張りながら、はすっぱに愉快そうに赤い唇を開けてみせる。
そして仁と視線が絡むと、次の瞬間には少女のように頬を染めてはにかんでいるのだ。
麻理さんを愛する事で、仁は意識することなく男の魅力に磨きをかけていくように見えた。
意識しない…それがどんなに希少な事か。無頓着な魅力ほど、女の心を摘み上げる。幸せそうにくつろぐ仁を、あたしはあの頃、誇らしくさえ思っていた。
だから彼女の死が、どんなに根深く彼を壊したか理解できる。悲しみという感情は、その息を止める程に体を蝕むものだと教えられた。
あの時、確かに仁は死と隣り合わせに生きていた。抜け殻のように空っぽのままで。一見、変わらない日常を送りながら、日に日に朽ち果てていくようだった。
救わなくては。仁を失ったらあたしも抜け殻になってしまう気がして怖かった。
突然、連絡が取れなくなって、あたしは慌てた。まさか…。思い浮かぶ事はロクでもない事ばかりで、仕事も手につかない毎日だった。あの時、あたしは眠る事すら出来なかった。連絡もよこさずに消えた男を、捜しては途方に暮れていた。
そして、1週間ほど経った朝、惰性のように期待せずにかけた仁の携帯から、聞きなれた声が返ってきたのだ。
『もしもし、涼子? おはよう…あれ? どうしたんだよ。電話掛けてきたくせに返事くらいしてくれよ』
馬鹿って頭の中で100万回繰り返しながらも、声にする事が出来なかった。耳を当てた受話器から、自分が漏らす嗚咽が何度も何度も響いていた。
久しぶりに会う仁は驚くほどに肌の色を濃くしていて、白い歯を見せて笑ってみせた。彼女を失ってから初めて見せた笑顔。
『一体、何処に行っていたの?』
『小さな南の島。海以外、何にもないところ』
ノンビリしたくてさ…思い出すように彼は遠い目をした。
誰と? 勘で感じ取った、女の影。
あたし、初めて嫉妬したわ。だってあなたを救うのはあたしだって自惚れていたから。小さな南の島…。その陽に焼けた腕に指を絡めた女が、自分ではなかった事が何故か無性に寂しかった。
今日、あの時と全く同じ違和感をあの女の子に感じた。不意打ちの存在感。あの時、空っぽだった仁に息を吹き込んだのは…あの子なのかもしれない。でも、そんな詮索は無粋というものだ。
「ねぇ、あなたとあたしって親友っていうか、戦友みたいだと思わない?お互いの沢山の色恋沙汰を見守ってきた戦友。音信不通だった時期もあるけれど、再会すればひとつ恋を締めくくった後だったりして、夜通し語り合ったりしたわよね」
ベンチ式の長椅子に並んで、夜空を染める華やかなネオンを眺める。隣の仁があたしの肩にもたれかかってきた。
「これからも涼子、傍にいてくれる?」
ふふ、どうしたのよ。あなたらしくもないじゃない。でも今夜みたいな仁も、たまにはいいかもしれない。
「元女房に言う台詞じゃないわね。まるでプロポーズじゃない」
からかうように、あたしはわざと少し意地悪く言った。だけど肩にかかる仁の重みが心地よいとも思った。
あの頃あたし達、若かった。大学を卒業して間もない頃、今更のように愛し合った時期があった。結婚なんてしてみてもいいかもね、なんてノリで夫婦になった。だけど、お互い縛り合うには早すぎたと気付いたのだ。
仁はイタリアで建築を勉強し直したいと思い始めていたし、あたしも負けてはいられないなんて妙に背伸びをしていた。そんな結婚生活は2年で終止符を打った。憎み合ってもいなかったし、後悔もなかった。より深くお互いを知ってあたし達は友達に戻ったのだ。何もかもさらけだせる、異性の親友。あの結婚は、今の関係を築くためのステップだったのかもしれない。
「弱みなんて見せると、つけこむわよ」
ずるずると、肩から頭をずらして、あたしの膝の上に仁は寝ころんだ。そしてぼんやりとした眼差しで夜空を眺めながら呟いた。
「…いいよ、つけ込んでも」
「あたしね、今ちょっと切羽詰まっているのよ」
「全然、そんな風にみえないけれど」
「あら、そう?大人の女ですもの。笑顔の下に隠してるのよ」
仁の髪を指ですくいあげながら、あたしは肩をすくめてみせた。
「聞きたいな、君の憂鬱の種」
「ふふっ、今日は久しぶりにパジャマパーティね。まずは貴方からよ。お行儀良く座っていられない訳はなぁに?」
小さく仁は笑った。だけど次に彼が浮かばせたのは、途方に暮れた歪んだ笑顔だった。黙って、あたしは指を彼の目蓋に伸ばした。涙なんてそこにはなかったけれども、癒すようにそっと触れた。仁は目を閉じて、話し始めた。
「絹ちゃんに、今度は俺が幸せになる番だって言われたんだ」
湿気を含んだ生暖かい風が、蝋燭の炎を揺らしている。仁の横顔を照らす明かりが、不安げに揺れる睫毛の影を作っていた。
「そんな風に言って貰えて嬉しくてさ、だけど俺の幸せって何だろう…なんて」
彼の哀しみは何故かあたしまで不幸にする。
そう昔から…。
「麻理さんが隣に居るってだけで、あの頃不思議な程、満たされていたんだ。あれが幸せってやつだったら、あんな事、俺の人生にはもうないんじゃないか…なんてさ」
「そうねぇ、麻理さん程の人はなかなか出会えないわね。でも違った意味で仁は幸せだと思うわ。あんな愛を知っている。そして今日のあの子みたいに、貴方の幸せを願う人もいる」
…あたしもそう願ってるけどね。と囁くように仁の耳元に言葉を添える。
「…うん、俺、贅沢しすぎちゃったのかな」
「馬鹿ね、貪欲に生きなきゃしょぼくれたオジサンになっちゃうわよ。いいんじゃない?贅沢な幸せを求めても。ただ手にしている幸せも見落とさないでねって忠告よ」
それにね…あたしは生ぬるくなったビールを喉の奥で味わいながら、さっきから言ってやろうと思っていた台詞を口にする。
「実は、絹ちゃんが結婚するのがショックだったんでしょ?」
仁が「まさか」と言いながら目を丸くする。そして、ばつが悪そうに黙り込んだ。
「…そうかもしれない。何だか置いてきぼりにされた気分もした。いや…もちろん祝福したい気持ちでいっぱいだけどさ」
しどろもどろな仁がおかしい。でも、正直な答えでいいんじゃない?
「涼子には、かなわないや」
そう言いながら仁は笑い出した。無理のない笑顔。彼の瞳から、憂鬱の色は消えていた。
「今度は涼子の番。俺、だいぶすっきりした」
あたしは、わざと勿体つけてゆっくりと煙草を咥える。仁が腕を伸ばして、テーブルの蝋燭を口元に運んでくれた。深く吸い込んだ煙を味わい、吐き出しながら告白をする。
「あたしね子供を産みたいのよ」
衝撃的すぎただろうか?仁は弾かれたように飛び起きて、あたしのオナカに視線を泳がせた。
「俺、今頭で押してた、お前のお腹っ。大丈夫か?」
「いやねぇ、そんなに慌てちゃって。身に覚えがあるわけでもないでしょう?」
「だってさ…あ、駄目だよっ」
ぱっと素早い仕草で、あたしの唇から煙草を抜き取ると、仁はそれを自分で咥えた。
「馬鹿ね、妊娠してないわよ。産みたいなぁって話。たぶんコレって本能が訴えかけてるんだと思うのよね。そろそろリミットだって」
何だよ、びっくりさせないでくれよと彼は、立て続けにプカプカと煙草をふかしてみせる。
「涼子、俺より2つ下だから36だっけ。それってリミットなの?」
「真剣に考えなきゃいけない時期ではあるわよね」
仁が先週持参した、バーボンウィスキーの蓋を開け、クラッシュアイスをたっぷりと詰め込んだグラスに注ぎ込む。そして絞ったレモンピールを、ロックグラスの中に落した。二人でお気に入りのウィスキーミスト。
「今度は何に乾杯する?」
「常夏のシンガポールの暑気払いだ」
あたし達は笑いを噛み殺しながら、再びグラスを合わせる。
「ところでさ、相手は決めているのかな?その…子どもの父親」
「あたしね別に結婚なんて求めてないのよ。手に職もあるしね。相手は模索中。手持ちのコマの中から選ぶか、今までと違う視点で新たな男を捜すか。ジョディ・フォスターみたいに最初からシングルマザーになるって感じだわね」
「…でもさ、それじゃ子供が可哀相じゃないかな…父親ってやっぱり必要だよ」
本当に心配そうに仁は言った。非難めいた口調が全く感じられない事が、逆にあたしの罪悪感を募らせる。
「…やっぱりさ、すご~く愛し合っている夫婦にじゃなきゃ、神様は子供なんて授けてはくれないのかしらね。
ねぇ、あたし決しておもちゃを欲しがるみたいに子どもを手に入れたい訳じゃないのよ。すごくすごく大事に愛して育てるつもり」
強く生きていく為に…。その言葉は口にすることは出来なかった。
誰かを全身で愛したいの。無償の愛って奴よ。男にそれを求めるのは、絵空事だって気付いちゃったのよ。仁は違うかもしれない。貴方は麻理さんを知っているから。
どちらからだろう。あたし達は自然と寄り添っていた。慰め合うように…。
「ねぇ、襲わないから今夜は一緒に眠ってくれる?」
「涼子のベットに?」
「そうよ」
「この部屋には何度もお邪魔しているけど、君の隣で眠るのは何年ぶりだろう」
返事の代わりに仁は立ち上がると、あたしの手を引いた。奇妙な夜だ。
ベランダの扉を閉め、夜空に視線を泳がせると、大きな満月が見えた。満月は人の心をかき乱し、狂わせる。あたしの手に繋がれた温もり。ただ、それだけが今は欲しかった。
仁の腕に抱かれながら、ベットに身を横たえる。お互いの瞳に、性急な欲情の色は浮かんではいなかった。気の遠くなるような歳月の果てに、こうして再びただ抱き合って眠る。随分長い静寂の中、まどろみ始めたあたしの耳元で、ボソリと仁が言った。
「あのさ、俺じゃ駄目かな? 親父役…いや、今、君と寝たいから言ってるって訳じゃなくて」
思ってもいない仁の申し入れに、あたしは寝ぼけながら失礼にも吹き出してしまった。
「貴方、相当酔っ払っているんじゃない?」
「酔うほど飲んでないさ。深い友情で結ばれた夫婦っていうのもありなんじゃないかなってふと思ったりしたんだよね。あの頃と違って、俺達それなりに大人になった。同じ失敗は繰り返さないと思うけど」
「…あのね、雌は数いる雄の中でも特に優秀な種を選びたいと思う訳」
自然の摂理をそう話し出したあたしに、仁は少しふて腐れた顔をした。役不足って言いたいんだね。彼の顔がそう語っている。
「あたしね、貴方の何が一番好きだと思う?」
「…さあね。お気に召す部分があるか自信がないよ」
「謙虚なのね」
「だってさ、笑うなんて失礼だよ」
「ふふ、ごめんね。驚いちゃったのよ。…あたしが一番好きなのはね」
そっと両手で彼の頬を包み込んでみせる。
「顔。顔が好き」
「初耳だよ、そんな事」
「あら、そう? 顔は大事よね。優秀な種の重要な項目よ。貴方のその顔と同じ男の子だったら、ママがいなきゃ生きていけないくらい息子を甘やかしちゃうわ」
「マザコンじゃ女の子にもてないぞ」
「変な会話」
「そうだな…元夫婦でこの会話って変だよな」
あたし達の子供…。こんな話をしている自分達に呆れる。本当に今宵は一点の歪みもない満月なのだろう。こんなにも心の隙に入り込み、思考回路を狂わせてしまうのだから。
月光が差し込むベッドルーム。そっと触れるだけの、お休みの口付けを交わす。
快楽よりも、愛よりも、ただの温もりだけが欲しい夜もある。
“深い友情で結ばれた夫婦っていうのもありなんじゃないかなって”
さっきの仁の言葉が、再び眠りかけた意識の中で、何度も何度もこだましている。
大人だって、少し人生に疲れた時に、溜息のような夢を口にしたい事もあるのだ。
月がその魔力を奪われる朝を迎えても、同じ夢を語れるのなら…そうしたらまた、人生の続きを考えてもいいのかもしれない。
その時は仁を誘ってみようか。6年前からずっとずっと、不思議な程に想い焦がれた憧れの場所。
“ねぇ、あたしも行ってみたいわ。小さな小さな南の島に…”
(END)
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